京都市立乾隆小学校
京都市立乾隆小学校(きょうとしりつ けんりゅうしょうがっこう) は、京都市上京区にある公立小学校。
京都市立乾隆小学校 Kenryu elementary school | |
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北緯35度02分01秒 東経135度44分33秒 / 北緯35.033722度 東経135.742556度座標: 北緯35度02分01秒 東経135度44分33秒 / 北緯35.033722度 東経135.742556度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 京都市 |
設立年月日 | 明治2年(1869年)9月15日[1][2][注釈 1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B126210000206 |
所在地 | 〒602-8303 |
外部リンク | 公式サイト |
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概要
編集明治2年(1869年)9月に上京第1番組小学校として開校した[5]。同年に京都で設立された64の番組小学校の一つである。
校名の乾隆は、1876年(明治9年)7月に、山田豊圓・橋本伝造により御所の乾(西北)の方角にある学区の隆昌を願い名付けられたとされる[6][注釈 2]。1735年~1796年にかけて在位した中国清朝第6代皇帝で、文化方面でも多くの業績を残した乾隆帝にあやかったとの説もある。
幾度の校名の変更を経て、開校から78年後の1947年(昭和22年)の4月には、現在の京都市立乾隆小学校に改称された。また、1999年(平成11年)には、築後61年の旧校舎の改築が決定し、その2年後の2001年(平成13年)に、現在の鉄筋コンクリート造一部4階建ての新校舎が完成した[7][8][9]。
本校では、西陣地区であるという特性を生かし、京都の伝統産業である西陣織を、総合的な学習の時間において小学3年生から学んでいる[10]。
沿革
編集- 1869年(明治2年) - 上京第一番組小学校として開校
- 1872年(明治5年) - 上京第三校と改称
- 1876年(明治9年) - 上京第三区乾隆小学校と改称
- 1879年(明治12年)- 上京区乾隆小学校と改称
- 1882年(明治15年)- 裁縫専修科を設置
- 1887年(明治20年)- 上京区乾隆尋常小学校と改称
- 1890年(明治23年)- 幼稚保育科を付設
- 1892年(明治25年)- 京都市乾隆尋常小学校と改称
- 1899年(明治32年)- 校章を制定
- 1900年(明治33年)- 校旗を制定
- 1901年(明治34年)- 2年程度の高等科を併置し、京都市乾隆尋常高等小学校と改称
- 1908年(明治41年)- 京都市乾隆尋常小学校と改称
- 1923年(大正12年)- 高等科2年を併置し、京都市乾隆尋常高等小学校と改称
- 1938年(昭和13年)- 鉄筋コンクリート校舎竣工式挙行
- 1941年(昭和16年)- 京都市乾隆国民学校と改称
- 1947年(昭和22年)- 京都市立乾隆小学校と改称
- 1954年(昭和29年)- 現在の校歌を制定
- 1999年(平成11年)- 校舎改築決定
- 2001年(平成13年)- 校舎改築竣工式典挙行
- 2019年(平成31年)- 開校から150年
所在地
編集- 京都市上京区寺之内通千本東入1丁目下る姥ヶ寺之前町919-3[4]
通学区域
編集乾隆小学校の通学区域は、後述の乾隆学区と嘉楽学区の一部である。嘉楽学区にあった当時の嘉楽国民学校(のちの嘉楽中学校)は昭和18年(1943年)に高等科のみとなり、以降、嘉楽学区の一部が乾隆小学校の通学区域に含まれることになった[1]。
著名な卒業生
編集乾隆学区
編集乾隆学区(けんりゅうがっく)は、京都市の学区(元学区)のひとつ。京都市上京区に位置する。明治初期に成立した地域区分である「番組」に起源を持ち、学区名の由来ともなる乾隆小学校のかつての通学区域であり、今でも地域自治の単位となる地域区分である。
明治2年(1869年)の第二次町組改正により成立した上京第1番組に由来し、同年には、区域内に上京第1番組小学校(のちに乾隆に校名を改称)が創立した。明治5年(1872年)には上京第3区、明治12年(1879年)には区が組となり上京第3組となった[12]。学区制度により明治25年(1892年)には上京第17学区となった[13]。
昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名により改称され、上京第17学区から乾隆学区となった[12]。昭和17年(1942年)に京都市における学区制度は廃止されるが[14]、現在も地域の名称、地域自治の単位として用いられている。
人口・世帯数
編集京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[15]、乾隆学区の区域に設定されている国勢統計区(上京区第7国勢統計区[注釈 3])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は2,908人、1,575世帯である。
地理
編集上京区の北西部に位置する学区であり、東側は成逸学区と西陣学区、南側は嘉楽学区、西側は翔鸞学区、北側は北区(紫野学区と柏野学区)に接する。概ね区域は、東は浄福寺通、西は千本通、北は廬山寺通、南は五辻通であり[12]、面積は0.226平方キロメートルである[注釈 4]。
乾隆学区内の通り
編集乾隆学区の町名
編集- 大黒町
- 杉若町
- 閻魔前町
- 西五辻北町
- 花車町
- 作庵町
- 牡丹鉾町
- 西社町
- 戌亥町
- 木瓜原町
- 西芦山寺町
- 北玄蕃町
- 歓喜町
- 中猪熊町
- 西熊町
- 姥ケ北町
- 新猪熊東町
- 姥ケ寺之前町
- 井田町
- 新猪熊町
- 蛭子町
- 真倉町
- 姥ケ榎木町
- 姥ケ東西町
- 桐木町
- 姥ケ西町
周辺
編集乾隆学区内の主な施設
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脚注
編集注釈
編集- ^ 11月21日とする資料もある[3]。いずれも旧暦。
- ^ 『上京区140周年記念誌』 (2020), pp. 36–37によれば、この説については西芦山寺町にある文殊院の記録があるとし、乾隆帝に因むとの説は根拠が見当たらないとする。
- ^ 令和2年国勢調査時点
- ^ 京都市地域統計要覧ウェブサービスの国政統計区別集計において、総務省統計局「地図で見る統計(jSTAT MAP)」に登録されている境界データから算出された数値として示される面積。
出典
編集- ^ a b c 『京都市立学校園沿革史』 (1981), p. 54, 「京都市立乾隆小学校」
- ^ a b 『京都市学区大観』 (1937), pp. 31–32, 「上京区乾隆学区」
- ^ 京都市学校歴史博物館 編「番組小学校の変遷」『京都 学校物語』京都通信社、2006年、94-95頁。ISBN 4-903473-20-1。
- ^ a b “京都市立乾隆小学校公式サイト”. 2023年10月7日閲覧。
- ^ a b 『上京区140周年記念誌』 (2020), pp. 36–37, 「乾隆」
- ^ a b “学区案内/乾隆学区(けんりゅう)”. 2023年12月3日閲覧。「京都市上京区 - 今宮神社の鉾町を中心に,価値ある地域文化財が数多く保存される乾隆学区」
- ^ a b 1999.7.20 終業式で校舎に別れ 上京・乾隆小、改築工事で=京都(大阪朝刊)
- ^ a b 祝 校舎改築記念 学校要覧 (京都市立乾隆小学校校舎改築推進委員会) 2001年
- ^ a b 2001.09.02 上京区の乾隆小新校舎で始業式 ピッカピカ新学期(京都 毎日新聞)
- ^ a b 2013.11.02 学校訪問:特色ある活動紹介 京都市立乾隆小学校3年生からの西陣織学習(京都 毎日新聞)
- ^ “京都コミュニティ放送 - 2016-9-2OA「旧西陣小学校の鉄筋校舎」”. 2021年2月11日閲覧。
- ^ a b c d 『史料京都の歴史 第7巻 (上京区)』 (1980), pp. 462–463, 「乾隆学区」
- ^ 明治25年6月3日府令第42号(京都市尋常小學校々數位置幷ニ小學區ノ件)「明治25年6月3日府令第42号」『京都府府令達要約 明治25年 第13編上巻』1892年、276-288頁。doi:10.11501/788418 。
- ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074 。
- ^ “用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。
参考文献
編集- 「乾隆学区」『史料京都の歴史 第7巻 (上京区)』平凡社、1980年、462-463頁。doi:10.11501/9574460。ISBN 9784582477078 。
- “学区案内/乾隆学区(けんりゅう)”. 2023年12月3日閲覧。
- 「上京区乾隆学区」『京都市学区大観』京都市学区調査会、1937年、31-32頁。doi:10.11501/1440637 。
- 「京都市立乾隆小学校」『京都市立学校園沿革史』京都報道センター、1981年、54頁。doi:10.11501/12111830 。
- 「乾隆」『上京区140周年記念誌』上京区140周年記念事業実行委員会、2020年、36-37頁 。
- 『京都市の地名』平凡社〈日本歴史地名大系27〉、1979年。ISBN 4-582-49027-1。
関連文献
編集- 「上京第十七学区之部(碓井小三郎『京都坊目誌 上京之部 坤』(1915))」『京都叢書:新修 第15巻』光彩社、1968年、73-102頁。doi:10.11501/2997392 。