乾勲
略歴
編集大阪府出身。一時期京都で過ごした後、大阪に戻る[1]。 大阪市立瑞光中学校、大阪府立北野高等学校、神戸大学経営学部を卒業[1]。 高校までは運動をほとんどしていなかったが、大学時代はフィールドホッケー部に所属していた[1]。
1963年、松下電器産業株式会社に入社。営業や企画部門を中心に様々なポストを歴任し、1999年ガンバ大阪代表取締役社長に就任した。
就任当時、累積赤字を抱えていたガンバの体質改善に着手。人員整理、グッズ在庫の一掃などを進め、赤字からの脱却を果たす。Jリーグバブルの崩壊によって観客動員が最も低迷した時期であったにもかかわらず、黒字をキープさせた乾の経営手腕が、その後のガンバ躍進の基礎となった[2]。
エピソード
編集- ガンバの社長として一番大きな仕事は「経営を盤石にするということ」と語っていた[1]。
脚注
編集- ^ a b c d プロスポーツの舞台裏で われら六稜人【第25回】(1999/10/23付)
- ^ クラブの決意が地域の心を動かす Jリーグ公式サイト J.LEAGUE NEWS PLUS vol.2(2008/04/28付)
出典
編集- ガンバ大阪の球団社長、乾勲さん 毎日新聞(朝刊・1999/03/04付)
- プロスポーツの舞台裏で われら六稜人【第25回】(1999/10/23付)
- PEOPLE150/乾勲ガンバ大阪社長 週刊サッカーマガジン(2000/06/07号)
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