久米豊
久米 豊(くめ ゆたか、1921年(大正10年)5月20日 - 2014年(平成26年)9月10日)は、日本の実業家、元日産自動車社長、元日本自動車工業会会長。東京都出身。位階は従三位。
くめ ゆたか 久米 豊 | |
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生誕 |
1921年5月20日 日本・東京都 |
死没 |
2014年9月10日(93歳没) 日本・神奈川県横浜市 |
死因 | 胃癌 |
国籍 | 日本 |
出身校 |
東京府立第六中学校 第一高等学校 東京帝国大学第二工学部航空原動機学科 |
職業 | 実業家 |
雇用者 | 日産自動車 |
団体 | 日産自動車 |
著名な実績 | 日本経済団体連合会副会長 |
肩書き | 日産自動車社長 |
任期 | 1985年6月~1992年6月 |
前任者 | 石原俊 |
後任者 | 辻義文 |
受賞 | 第5回新語・流行語大賞銅賞 |
栄誉 | 従三位 |
略歴
編集- 旧制東京府立六中、旧制一高卒
- 1944年(昭和19年) - 東京帝国大学第二工学部航空原動機学科を卒業[1]。日本海軍で軍用機の製造、修理に関わる[2]。
- 1946年(昭和21年) - 日産自動車入社[2]、座間工場工務部長・吉原工場長などを歴任。
- 1973年(昭和48年) - 同社代表取締役就任[1]。
- 1977年(昭和52年) - 同社代表取締役常務就任。
- 1982年(昭和57年) - 同社代表取締役専務就任。
- 1983年(昭和58年) - 同社代表取締役副社長就任。
- 1985年(昭和60年) - 同社代表取締役社長就任[1]。
- 1988年(昭和63年) - 日本インダストリアル・エンジニアリング協会会長就任( - 1993年)[3]。「シーマ(現象)」で第5回新語・流行語大賞銅賞を受賞。
- 1990年(平成2年) - 日本自動車工業会会長就任( - 1994年)。
- 1991年(平成3年) - 日本自動車研究所理事長[4]。
- 1992年(平成4年) - 日産自動車会長、経団連副会長( - 1997年)就任。
- 1994年(平成6年) - 勲一等瑞宝章受章[5]。
- 1996年(平成8年) - 日産自動車会長を退任し同相談役に就任[2]。
- 1998年(平成10年) - 同社相談役を退任[6]。
- 2014年(平成26年)9月10日 - 胃癌のため横浜市で死去[1]。93歳没。叙従三位[7]
出典
編集- ^ a b c d 久米豊氏が死去 元日産自動車社長・会長 日本経済新聞 2014年9月17日
- ^ a b c “元日産社長の久米豊氏が死去 経団連副会長など歴任”. 共同通信. 47NEWS. (2014年9月17日). オリジナルの2014年9月17日時点におけるアーカイブ。 2014年9月18日閲覧。
- ^ 歴史日本インダストリアル・エンジニアリング協会
- ^ 一般財団法人日本自動車研究所創立50周年記念誌 協創 一般財団法人日本自動車研究所
- ^ 「94年秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、外国人の受章者」『読売新聞』1994年11月3日朝刊
- ^ 久米豊氏死去:「日産の光と影」ヒット車連発、労使対立も 毎日新聞 2014年9月17日
- ^ 平成26年10月14日官報
参考文献
編集- 交詢社 第69版 『日本紳士録』 1986年
関連項目
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