『丹哥府志』(たんかふし)は、江戸時代後期に編纂された丹後国の地誌。
宝暦13年(1763年)から天保12年(1841年)にかけて、宮津藩の儒者・小林玄章(こばやし げんしょう)とその子の之保、孫の之原が3代にわたって編纂した地誌である[1]。
原本は昭和2年(1927年)の北丹後地震でほとんどが焼失したが、網野町郷の立野家に伝わった竹野郡の部のみが残存し、京丹後市の文化財に指定されている[2]。
昭和13年(1938年)の『丹後郷土史料集』第1輯と[3]、昭和47年(1972年)の『丹後史料叢書』第6輯にそれぞれ活字翻刻されている[4]。