丹下左膳 (1963年の映画)
『丹下左膳』(たんげさぜん)は、1963年11月17日に松竹が配給した。内川清一郎監督による時代劇映画である[1]。
丹下左膳 | |
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監督 | 内川清一郎 |
脚本 |
野口泰彦 内川清一郎 |
原作 | |
製作 |
岸本吟一 清水俊男 |
出演者 |
丹波哲郎 鰐淵晴子 田村高廣 笠智衆 |
音楽 | 大森盛太郎 |
撮影 | 太田喜晴 |
編集 | 太田和夫 |
製作会社 | 松竹京都 |
配給 | 松竹 |
公開 | 1963年11月17日 |
上映時間 | 95分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
概要
編集丹下左膳役に丹波哲郎[2][3]。丹波は、1958年にテレビドラマ(山一名作劇場内)で丹下左膳を演じており[4]、2度目の丹下左膳役であったが、今作では、自分の利き手が右であり、左手では豪快な殺陣が出来ないという丹波本人の申し出により[5]、本来なら右手が無く、右目に傷がある丹下左膳だが、右目ではなく左目に傷、左手が無いという、これまでとは違う説定になった[6]。また丹波は、1966年の映画『丹下左膳 飛燕居合斬り』においては、柳生対馬守を演じている[7]。
あらすじ
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享保十五年、柳生藩は幕府から日光東照宮の修繕の命を受ける。しかし、財政的に貧しい柳生藩には無理な命令であり、柳生藩は何としても金を作らなければない。柳生藩は困惑し、一風宗匠という老人の知恵者の智恵を借りようとする。老人は、柳生藩には隠し財産があり、代々伝わる刀にその財産の手掛かりがあるというのだ。しかし刀は、引出物として利用されることとなり、既に江戸にあった。柳生の源之丞は、江戸へ向かうが、司馬卜伝は訳も言わぬまま刀を返せという源之丞に立腹、柳生家との試合で柳生家が勝てば返すと約束、源之丞は試合に勝ち、刀を手にしようとしたその時、丹下左膳がどこからともなく現れ、源之丞を一対一の勝負で破り、刀を奪ってどこかへ去っていった。
配役
編集スタッフ
編集- 監督:内川清一郎
- 製作 : 岸本吟一、清水俊男
- 脚本 : 野口泰彦、内川清一郎
- 撮影:太田喜晴
- 編集 : 太田和夫
- 音楽:大森盛太郎
- 美術 : 大角純一
併映作品
編集脚注
編集- ^ キネマ旬報1963年11月上旬号 p.4 丹下左膳の内川組
- ^ キネマ旬報1963年11月下旬号 p.7 丹下左膳
- ^ “丹下左膳”. 日本映画情報システム 文化庁. 2022年10月2日閲覧。
- ^ “新撰 芸能人物事典 明治~平成「丹波 哲郎」の解説”. KOTOBANK. 2022年10月2日閲覧。
- ^ “丹下左膳”. 新文芸坐. 2022年10月2日閲覧。
- ^ “今も忘れない丹波哲郎さんに聞いた4つの疑問、その日の夜、私が高熱を出したワケ”. デイリー新潮. 2022年10月2日閲覧。
- ^ “五社英雄 華麗なる映像の世界”. Zakzak 夕刊フジ. 2022年10月2日閲覧。