中野栄三郎
中野 栄三郎(なかの えいざぶろう、旧姓・茂木、1887年(明治20年)4月18日[1] - 1988年(昭和63年)7月9日[1])は、日本の実業家。野田醤油(現・キッコーマン)社長[2]。小網商店無限責任社員[3][4]。
人物
編集千葉県東葛飾郡野田町(現・千葉県野田市)出身。茂木七郎右衛門の二男[5]。茂木順三郎の弟[3][4]。叔父・中野長兵衛の養子となった[5]。1912年、慶應義塾大学部法律科卒業[6][7]。1936年、養父退隠により家督を相続した[3]。
野田醤油社長[2]、同社常務取締役、柏屋商事、銚子醤油(現・ヒゲタ醤油)、満州野田醤油、野田運輸、総武鉄道各取締役、野田商誘銀行各監査役等をつとめた[3][4]。
家族・親族
編集- 中野家
- 叔父、養父・長兵衛(1864年 - ?、千葉県多額納税者、醤油問屋業)
- 妻・エイ(1895年 - ?、東京、大野屋、太物商・前田兼七の二女)[8]
- 養子・武四郎(1911年 - ?、千葉、高梨兵左衛門の四男[9][10]、1935年に慶應義塾大学法学部法律科卒業[7])
- 男(1927年 - )[10]
- 二男(1929年 - )[10]
- 女・良子(1914年 - ?、養子・武四郎の妻)[10]
- 二女(1917年 - ?)[10]
- 女(1920年 - )[10]
- 親戚
脚注
編集- ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、893頁。
- ^ a b 『豪閥 地方豪族のネットワーク』125-136頁。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第12版 下』ナ71頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月23日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第13版 下』ナ69頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年11月10日閲覧。
- ^ a b c d 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』千葉24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月23日閲覧。
- ^ 『慶応義塾総覧 昭和4年』第十九章 卒業生 45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月23日閲覧。
- ^ a b 『慶応義塾塾員名簿 昭和17年版』282-283頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月25日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第9版』マ16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月24日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第4版』た81頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月25日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版 下』ナ66頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月25日閲覧。
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 慶応義塾編『慶応義塾塾員名簿 昭和17年版』慶応義塾、1924-1942年。
- 慶応義塾編『慶応義塾総覧 昭和4年』慶応義塾、1929年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 森川英正『日本財閥経営史 地方財閥』日本経済新聞社、1985年。
- 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』立風書房、2001年。
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