中里長門
日本の政治家
中里 長門(なかさと ながと、1946年8月30日 - 2011年8月16日)は、日本の政治家。
中里 長門 なかざと ながと | |
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生年月日 | 1946年8月30日 |
出生地 | 岩手県陸前高田市 |
没年月日 | 2011年8月16日(64歳没) |
死没地 | 岩手県陸前高田市 |
出身校 | 奥州大学 |
所属政党 |
(日本共産党→) 無所属 |
称号 | 経済学士(奥州大学) |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2003年2月13日 - 2011年2月12日 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1987年 - 2003年 |
来歴
編集岩手県陸前高田市生まれ。奥州大学(現富士大学)経済学部経済学科卒業。大学卒業後、陸前高田民主商工会事務局長を経て、1987年に日本共産党公認で陸前高田市議選に出馬し初当選。以後4期16年、陸前高田市議を務める。
2003年、当時建設費が8億円に上る計画が持ち上がっていたタラソテラピー(海洋療法)施設の建設に反対する超党派の住民運動グループ「陸前高田市政を考える市民の会」に推挙され、陸前高田市長選挙へ無所属で出馬。日本共産党に加え、自由民主党系会派「爽風会」の支援を受け、全国でも珍しい自共共闘により、5選を目指して出馬した民主党系の菅野俊吾市長を破り、初当選[1]。2007年の市長選でも、元岩手県議の吉田昭彦を破り、再選された[2]。逝去まで共産党の党籍は有していたが、市長選挙には1期目、2期目共に無所属として出馬している。
2010年のチリ地震による津波で損壊した養殖施設の処分費用について、陸前高田市による全額負担を提案した[3]。
2011年の陸前高田市長選には出馬せず、引退。市長選には、中里の下で副市長を務めた戸羽太が民主党の推薦を受けた菅原一敏を破り当選している[4]。
脚注
編集- ^ “岩手・陸前高田に共産党員市長誕生”. しんぶん赤旗 (2003年2月4日). 2011年4月6日閲覧。
- ^ “陸前高田 中里市長の再選 市民の力で市政守った”. しんぶん赤旗 (2007年2月5日). 2011年4月6日閲覧。
- ^ “津波被害の養殖施設処分 陸前高田市が全額助成”. しんぶん赤旗 (2010年3月6日). 2011年4月6日閲覧。
- ^ “岩手・陸前高田市長選、小沢氏支援の候補敗れる”. 読売新聞 (2011年2月6日). 2011年4月6日閲覧。
- ^ “訃報:中里長門さん 64歳=前陸前高田市長 /岩手”. 毎日新聞. (2011年8月18日) 2011年8月18日閲覧。
参考文献
編集公職 | ||
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先代 菅野俊吾 |
岩手県陸前高田市長 2003年 -2011年 |
次代 戸羽太 |