中谷秀
中谷 秀(なかたに しゅう、1885年(明治18年)8月29日[1] - 1973年(昭和48年)9月11日[2])は、日本の内務官僚。官選鳥取県知事。
経歴
編集島根県に中谷初十郎の四男として生まれる[1]。1913年(大正2年)に明治大学法科を卒業し[3]、高等文官試験に合格[1]。愛媛県属、愛媛県理事官、山口県理事官、長崎県理事官、奈良県警察部長、富山県警察部長、石川県内務部長、岩手県内務部長、愛知県内務部長などを歴任[1]。1934年(昭和9年)に第28代鳥取県知事に就任し[1]、室戸台風復興に尽力した。1936年(昭和11年)、退官[4]。退官後は出雲電気株式会社専務、同副社長に就任した[4]。のち全国購買販売組合連合会専務理事、農村科学研究所所長、日本澱粉株式会社監査役、東洋組網工業株式会社顧問、大隈鉄工所株式会社顧問を務めた[4]。他に全国農業会理事等。墓所は多磨霊園[5]
親族
編集- 高岡直吉 - 妻の父。宮崎県知事・島根県知事・鹿児島県知事・門司市長・札幌市長。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第10版(下)』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。