中田時懋
日本の陸軍軍人
中田 時懋(なかた ときしげ、1853年3月12日(嘉永6年2月3日[1][2]) - 1927年(昭和2年)1月13日[3])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級、功四級[4]。
経歴
編集薩摩鹿児島藩領熊毛郡西之表村(鹿児島県熊毛郡北種子村、西之表町を経て、現西之表市)出身[1]。中田貢の長男[2]。1871年(明治4年9月)御親兵となり[2]、1873年(明治6年)陸軍教導団に入り[1]、1877年(明治10年)12月、陸軍士官学校旧1期卒業[4]。西南戦争に従軍した[2]。第1軍兵站部司令官として日清戦争に出征した[1]。1897年(明治30年)10月、陸軍砲兵大佐に進級と同時に野戦砲兵第9連隊長に補され、1903年(明治36年)5月、陸軍少将に進級と同時に澎湖島要塞司令官に任じた[4]。1906年(明治39年)3月、佐世保要塞司令官に転じ、1908年(明治41年)12月、陸軍中将に進級と同時に予備役に編入した[3][4]。1911年(明治44年)4月、後備役に編入した[2]。晩年は鎌倉市に住んだ[2]。
栄典
編集- 位階
- 1891年(明治24年)12月28日 - 従六位[5]
- 1895年(明治28年)9月20日 - 正六位[6]
- 1897年(明治30年)10月30日 - 従五位[7]
- 1902年(明治35年)12月24日 - 正五位[8]
- 1908年(明治41年)1月31日 - 従四位[9]
- 1909年(明治42年)3月10日 - 正四位[10]
- 勲章等
著作
編集- 『鎌倉』鎌倉同人會、1919年。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。