中森三弥
中森 三彌(なかもり さんや、1907年(明治40年)- 2002年(平成14年)7月16日)は、日本の写真家である。
なかもり さんや 中森 三弥 | |
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生誕 |
1907年??月??日 日本・大阪府大阪市南区(現・中央区)新橋 |
死没 | 2002年7月16日 |
国籍 | 日本 |
職業 | 写真家 |
人物
編集大阪新橋の染物屋に生まれる。関西大学専門部中退。大阪光芸倶楽部、銀影探光倶楽部を経て、1940年(昭和15年)、浪華写真倶楽部に入会。小石清、本庄光郎、花和銀吾らから指導を受ける。長く同倶楽部の幹事長や代表を務めた。中藤敦らと堺公共職業補導所写真科にて指導、なんばデザイナー学院写真科教授。サンフォトクラブを主宰する傍ら、他写真クラブを指導しアマチュア写真家の育成に携わった。他にくらぶ草土会、オール関西写真集団に属した。日赤大阪府支部写真奉仕団団長、大阪写真材料商業組合理事、全日本写真連盟関西本部顧問を務め、日本写真協会功労賞、全日本写真連盟関西本部表彰、日本赤十字社厚生大臣特別表彰など各方面から受賞。95歳で他界。若手を育てることに長けていた。
写真集
編集主な展覧会
編集主な表彰
編集参考文献
編集関連事項
編集外部リンク
編集- 浪華写真倶楽部について - archive.today(2012年12月16日アーカイブ分)