中村 重光(なかむら じゅうこう、1910年9月24日 - 1998年9月5日)は、日本政治家日本社会党衆議院議員(9期)。派閥は、勝間田派に所属した。永年在職議員勲一等瑞宝章従三位

人物

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長崎県生まれ。1924年(大正13年)、長崎市山里尋常高等小学校卒業。長崎市立銭座青年学校講師、長崎市議会議員(1期)、長崎県議会議員(2期)などを経て[1]1956年(昭和31年)、第4回参議院議員通常選挙長崎県選挙区に日本社会党から出馬し、自由民主党現職の秋山俊一郎25,285票差で敗れる。1959年(昭和34年)、第5回参議院議員通常選挙長崎県選挙区に日本社会党から出馬し、自由民主党現職の藤野繁雄10,965票差で敗れる。

1960年(昭和35年)、第29回衆議院議員総選挙長崎1区に日本社会党から出馬し、初当選(当選同期に宇野宗佑海部俊樹伊藤宗一郎亀岡高夫仮谷忠男細田吉蔵小沢辰男佐々木義武田沢吉郎谷垣専一久保田円次田川誠一渋谷直蔵藤井勝志など)。以後、連続9回当選。1983年(昭和58年)、社会党第四八回定期大会で、中小企業局長に選出[2]1985年(昭和60年)10月16日、衆議院本会議において、永年在職表彰(25年)を受けた[3]

1986年(昭和61年)、第38回衆議院議員総選挙に出馬せず、政界引退。

1987年(昭和62年)、長崎市長選挙に立候補したが落選[4]。同年、勲一等瑞宝章受章[5]

1998年(平成10年)、9月5日死去。

家族

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  • 孫-中村俊介(現長崎県議会議員・自由民主党)[6]

脚注

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議会
先代
八木昇
  衆議院科学技術振興対策特別委員長
1975年 - 1976年
次代
山田太郎