中村由利 (歌手)
中村 由利(なかむら ゆり、7月4日 - )は、日本の女性シンガーソングライター、作曲家。GARNET CROWのボーカリスト。愛称は「ゆりっぺ」。血液型O型。声域はアルト。1999年から2013年までGARNET CROWのボーカル・作曲担当としての活動が中心であった。
生誕 | 7月4日 |
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ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 | |
活動期間 | 1999年 - 2013年 |
レーベル | GIZA studio |
事務所 | ビーイング |
共同作業者 | GARNET CROW |
公式サイト | http://garnetcrow.com/ |
概要
編集GARNET CROWの全楽曲の作曲を行うと同時に、メインボーカルおよび一部曲のバックコーラスを担当する。歌い手としての特徴は、中低音域を旋律の中心としながらも、バラードなどにおいてはファルセットも多用するという、独特な歌唱と歌声にある。こうした作曲面、歌唱面における独自性の源泉は、クラシック音楽やクランベリーズなどの洋楽に影響を受けた点にある、と彼女自身が語っている。クラシック音楽には小さい頃から親しんでおり、ロマン派、殊にショパンやチャイコフスキーは彼女自身の愛好する作曲家。その他の好きなアーティストに渋谷系のフリッパーズ・ギター、憧れのアーティストに中島みゆきなども挙げている。デビュー当時はGARNET CROWの中では唯一の新人であった。デビュー以降はGARNET CROWのフロントマンとして、歌番組におけるインタビューへの対応やライブの進行役も一手に行う。更に、GARNET CROW以外にも活動を広げ、三枝夕夏 IN db や ZARD などにも楽曲を提供したり、ライブのゲストボーカルにも招かれている。ボーカルとして健康面に対する意識も強く、メンバーのAZUKI七の発言によれば、歌う前にはカレーやアルコールなどの刺激物は口にしない。自ら水を持参してテレビ収録に臨むほどである。[要出典]
納豆、抹茶、東京駅の極附(きわめつき)弁当、スターバックスのキャラメルマキアート、紅茶など、食品に関するコメントも多い。好きな食べ物は、「鍋焼きうどん」、「キムチ」など。嫌いな食べ物は、「うなぎ」、「ピーマン」など。また、体操を行っている際に肋骨を折り、そのまま「Last love song」のレコーディングを行ったというエピソードも持つ。アニメ好きであるらしく『銀河英雄伝説』『精霊の守り人』のファン。[要出典]また『キテレツ大百科』の「はじめてのチュウ」を好きなアニメ・ソングとしてあげている[1])スカーレット・ヨハンソンのファンとも答えている。GARNET CROWの曲で最も本人が気に入っている曲は「未完成な音色」。10thシングルである「夢みたあとで」は彼女が学生時代に初めて作曲した思い入れのある作品である。印象に残ってる歌として、肋骨を折った状態を隠して歌唱録音に臨んだ「Last love song」を上げている。ライブでは自分自身を「自称歌姫」と紹介する。メンバーのAZUKI七と仲がいい。沖縄の料亭「名護曲(なぐまがい)レストラン」にはプライベートでAZUKI七と訪れた際のサイン(2006.9.9)と写真が飾られている。[要出典]
経歴
編集略歴
編集- 1999年12月4日、GARNET CROWのボーカルとしてインディーズデビュー。
- 2000年3月29日、GARNET CROWのボーカルとしてメジャーデビュー。
- 2001年12月5日に発売されたCDアルバム『GIZA studio R&B RESPECT Vol.1 -six sisters selection-』内にて、初のソロ名義作品の発表。12月15日には、世界初のインターネットライブ『GIZA studio R&B PARTY at the"Hills パン工場" [堀江]vol.1 』において、初のライブ出演を行う。[2]
- 2002年3月13日発売のCDシングル『夢みたあとで』がオリコンシングルチャート6位を記録、自身が手がけた曲のうちで最高順位となる。夏には『MAI-K & FRIENDS HOTROD BEACH PARTY』に出演。[3]
- 2003年7月17日、GIZA studioの本社ビル「GIZA hills(現・HORIE HILLS)」地下2階にあるhillsパン工場・ライブハウスで開催された生沢佑一のライブにゲスト出演。[4]
- 2009年12月31日に開催されたライブ『GARNET CROW Special Countdown Live 2009-2010』にて、MINIQLO結成を発表。
- 2013年のグループ解散後は現在に至るまで活動が無く、事実上の引退状態にある。
デビュー以前
編集幼稚園の頃にエレクトーンを習い[5]、その後高校時代までピアノを続ける[6]。両親の影響でクラシックのレコードが家に豊富にあったため、クラシックに慣れ親しんで育つ[5]。但しクラシックだけではなく、母親の影響で小椋佳やさだまさしなど、歌謡曲やニューミュージックも聴いていた。最も影響を受けたのは、来生たかおのオリジナリティのある声だったという[6]。部活などは一切していなかったが、合唱部の先生の推薦で大会の時だけ呼ばれて参加して歌うなど、その当時から歌唱の才能を評価されていた。学生時代には作曲を行っていたが、あくまで趣味の一つとしてであった。音楽を職業にするということは、全く考えていなかったという[5]。しかし作曲で通っていたスタジオ関係者のつてで事務所の関係者と知り合い、その後加入した。
その後、音楽制作にかかわる仕事を志向するようになるが、表に出て行くというよりもスタッフサイドのディレクター的な仕事を希望してビーイングに入社、入社すぐに倉木麻衣のデビュー準備のためデモ制作スタッフとして招集され、招集されたメンバーで1999年の秋、GARNET CROWを結成。当時はGARNET CROWの中では唯一の新人であり、本格的な作曲・ボーカルとしての音楽活動はこの時期からとなる。自身は全く歌うつもりはなかったが、曲を書いた際に特徴的な声をメンバーから「この声はいいよ、これでいこう」と薦められたこと、また「歌える人間がいないから[6]」という理由のためにボーカル担当となる[5]。1999年12月4日、GARNET CROWの作曲・ボーカル担当としてインディーズデビュー。
作品
編集シングル
編集- イミテイション・ゴールド(C/W 私は風)(2003年10月8日、BMCV-5005)
アルバム
編集- GIZA studio R&B RESPECT Vol.1 -six sisters selection-(2001年12月5日、GZCA-5006)
- GIZA studio MAI-K & FRIENDS HOTROD BEACH PARTY(2002年7月17日、GZCA-5017)
- TAK MATSUMOTO(B'z)「THE HIT PARADE」(2003年11月26日、BMCV-8009)
- Christmas Non-Stop Carol(2010年12月1日、GZCA-5299)
DVD
編集- GIZA studio R&B PARTY at the"Hills パン工場" [堀江]vol.1(2002年2月14日、BMBD-7005)
- GIZA studio MAI-K & FRIENDS HOTROD BEACH PARTY Vol.1 〜2002夏〜(2002年11月6日、ONBD-7019)
書籍
編集- ジェイロックマガジン社編『GIZA studio MAI-K & FRIENDS HOTROD BEACH PARTY Vol.1 〜Book Edition 2002〜』、株式会社ジェイロックマガジン社、2002年10月23日。(ISBN 4-916019-33-4 C0073、JRZ-1007)
- THURSDAY LIVE BOOK STAFF編『THURSDAY LIVE -TRACKS OF THREE YEARS-』、株式会社ジェイロックマガジン社、2006年8月1日。(ISBN 4-916019-45-8 C0073、JRZ-8024)
- 2003年7月17日“OLDIES NIGHT”(メイン:生沢佑一 ゲスト:中村由利、宇徳敬子)の詳細な公演記録が収録されている。
関連書籍
編集- GARNET CROW『GARNET CROW photoscope 2005 〜5th Anniversary〜』、株式会社ジェイロックマガジン社、2005年1月21日。(ISBN 4-916019-41-5 C0073)
- 中村自身の生い立ちや、GARNET CROWに加入する以前の状況などについて、インタビューが収録されている。
作曲提供
編集- 三枝夕夏 IN db「Graduation」
- ZARD「止まっていた時計が今動き出した」
- 岩田さゆり「空色の猫」(作詞はAZUKI七、編曲は古井弘人と、GARNET CROWと同じ形態で提供し、GARNET CROWが2005年10月26日に発売したベストアルバム『Best』にて中村の歌唱でセルフカバーしている。)
コーラス参加
編集- ZARD「グロリアス マインド」「止まっていた時計が今動き出した」「フォトグラフ」
- 三枝夕夏 IN db「Graduation」
ライブ
編集GARNET CROWとしての出演は、GARNET CROWのページに詳しい。
他アーティストと共同出演
編集- GIZA studio R&B PARTY at the"Hills パン工場"[堀江]vol.1
- 2001年12月25日:hills パン工場(ネットワークライブ)
- MAI-K & FRIENDS HOTROD BEACH PARTY
- ビーチサイドライブ
- ホールライブ
- 2002年8月26日:北海道厚生年金会館
- 2002年9月2日:名古屋センチュリーホール
- 2002年9月10日:福岡サンパレス
ゲスト出演
編集- THURSDAY LIVE at hills パン工場 "OLDIES NIGHT"
- 2003年7月7日:hills パン工場
- What a beautiful memory (ZARD)
参考文献・出典
編集- ^ “すぴsアメコミ・ヒーロー ジャングル”. (2010年4月) 2011年4月閲覧。
- ^ 『R&B PARTY at the Hillsパン工場 [堀江] vol.1』は、Net.Liferium2001(ネットライフリウム2001)のイベントとして開催。hillsパン工場に客を入れずに中村由利・倉木麻衣・愛内里菜・三好真美・松田明子・松永安未がパフォーマンスを行い、その模様をパシフィコ横浜の会場に用意した大型シアターおよび大阪・東京・札幌の街頭テレビへインターネット中継され、2002年2月14日にDVDとして発売された。
- ^ 2002年の夏、SEA BREEZE“Feel fine!”キャンペーンライブツアー『GIZA studio MAI-K & FRIENDS HOTROD BEACH PARTY Vol.1 〜2002 夏〜』が、淡路夢舞台(7月26日)と逗子マリーナ(7月30日)ではビーチサイドライブとして、北海道厚生年金会館(8月26日)・名古屋センチュリーホール(9月2日)・福岡サンパレス(9月10日)ではホールライブとして開催され、2002年11月6日にDVDとして発売された。
- ^ 「フレッツ・スクウェア」における人気ライブハウスコンサートのブロードバンドライブ配信の実施について ~「THURSDAY LIVE at hillsパン工場」を独占ライブ配信~ - 西日本電信電話株式会社
- ^ a b c d 前掲書 GARNET CROW「born Yuri Nakamura」『GARNET CROW photoscope 2005 〜5th Anniversary〜』。
- ^ a b c 鈴木利宗(文)「買っとく知っとくNEWSTOCK GARNET CROW(ボーカル・作曲担当)中村由利」『女性自身 10月10日号』、光文社、2006年。