中村 元明(なかむら もとあきら)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将毛利氏の家臣。官位は宮内少輔。父は中村信勝、兄は中村繁勝。子に中村就親元行。孫に中村元誠

 
中村 元明
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
改名 中村信明→元明
別名 通称:弥六左衛門
官位 宮内少輔
主君 毛利弘元興元幸松丸元就
氏族 清和源氏義光流板垣氏庶流?中村氏
父母 父:中村信勝
兄弟 繁勝元明信里
就親元行
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生涯

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安芸武田氏の家臣である中村信勝の次男として生まれる。

元明も安芸武田氏に仕えていたが、毛利弘元から勧誘を受け、不和の兄・中村繁勝を切腹させて毛利弘元に帰属し、安芸国高田郡土師270貫を領し、土師の田屋城に居住した。永正4年(1507年)に毛利弘元の嫡男・興元大内義興に従って上洛した時には側近として追従した。興元とその子・幸松丸の死後の大永3年(1523年)に15人の宿老が連署状によって毛利元就に宗家相続を依頼しているが、元明は2番目に「中村宮内少輔元明」と署名している[1]。死去年は不明であるが90歳で死去し、嫡男の就親が後を継いだ。

次男の元行が、天文9年(1540年)の吉田郡山城の戦いで活躍している。子孫の中村武一高田郡吉田町(可愛・郷野・丹比各村が新設合併)初代町長。菩提寺は浄土宗智水山深廣院清住寺(安芸高田市吉田町、広島市中区本川町)。

脚注

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  1. ^ この時連署状に署名した15名の宿老は、署名順に福原広俊中村元明坂広秀渡辺勝粟屋元秀赤川元助(元保)井上就在井上元盛赤川就秀飯田元親井上元貞井上元吉井上元兼桂元澄志道広良

参考資料

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