中川 虎之助(なかがわ とらのすけ、1859年2月5日安政6年1月3日) - 1926年大正15年)3月16日)は、日本政治家実業家漢詩人衆議院議員徳島県上板町出身。

中川虎之助

経歴

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中川政治郎の三男として板野郡上板町神宅で生まれる。号は剣岳。実家は製糖業(阿波和三盆業)を営む[1]

1908年明治41年)、51歳で第10回衆議院議員総選挙に出馬し当選、1912年(明治45年)に再選する。普通選挙を唱え、1925年大正14年)に普選実施の礎地をつくった。また、在任中に鳴門架橋(現在の大鳴門橋)の提案をするなど、卓抜な識見を有した[1]

1926年(大正15年)3月16日、68歳で没する[1]

脚注

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  1. ^ a b c 『阿波人物志』p161

参考文献

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  • 『阿波人物志』原田印刷出版、1973年。
  • 『徳島市史』徳島市、1973年。