中島裕希
中島 裕希(なかしま ゆうき、1984年6月16日 - )は、富山県高岡市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・FC町田ゼルビア所属。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。
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名前 | ||||||
愛称 | ユウキ、ナカシ | |||||
カタカナ | ナカシマ ユウキ | |||||
ラテン文字 | NAKASHIMA Yuki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1984年6月16日(40歳) | |||||
出身地 | 富山県高岡市 | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | FC町田ゼルビア | |||||
ポジション | FW / MF | |||||
背番号 | 30 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2000-2002 | 富山第一高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2003-2007 | 鹿島アントラーズ | 23 | (0) | |||
2006-2007 | → ベガルタ仙台(loan) | 71 | (15) | |||
2008-2012 | ベガルタ仙台 | 110 | (16) | |||
2012 | → モンテディオ山形(loan) | 41 | (9) | |||
2013-2015 | モンテディオ山形 | 107 | (20) | |||
2016- | FC町田ゼルビア | 274 | (48) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2024年2月18日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
妻はタレントの丸居沙矢香。
来歴
編集鹿島アントラーズ
編集2003年に鹿島アントラーズに入団。当時の鹿島には柳沢敦、鈴木隆行、田代有三らFW陣の層が厚く、出場機会を得られなかった。
ベガルタ仙台
編集鹿島OBで親交があり、ベガルタ仙台の手倉森誠コーチ(当時)からオファーを受け、2006年、仙台に期限付き移籍。仙台ではMFロペス、FW萬代宏樹、FW中原貴之とのコンビネーションで翌2007年にかけて71試合15ゴールの成績を残し、2008年から仙台に完全移籍。
2010年のJ1昇格直後こそスタメンを確保していたが、チームの得点力不足が深刻で自身も極端なスランプに陥り、後半にはFC東京から移籍してきた赤嶺真吾や好調のフェルナンジーニョ、太田吉彰にポジションを奪われ、守備固めのフォーメーションのみの起用となって出場機会を失い、去就が注目されたが結局残留した。
2011年にも当初から守備固めとしての起用が多く、さらにルーキーの武藤雄樹の台頭や、この年移籍してきた柳沢の怪我からの復帰によりベンチ入りすらできない状況となってこの2年でわずか2ゴールという不本意な結果に終わった。
モンテディオ山形
編集2012年、監督の手倉森の薦めもあって弟の浩がヘッドコーチとして務める同じ東北のライバルチームであるモンテディオ山形へ期限付き移籍(仙台との複数年契約であったため)。
山形では、当初山崎雅人、再びチームメイトとなった萬代とのFW3人による3トップを形成。シーズン序盤から中盤に掛けての山形の快進撃を支えた。しかし中盤以降山崎、萬代が怪我で離脱するとC大阪から中途加入したブランキーニョとのコンビが合わず中島自身も不調に陥り、監督の奥野は苦肉の策として丁度ネックとなっていたサイドハーフに転向させた。
FC町田ゼルビア
編集2016年、J2に昇格したFC町田ゼルビアに完全移籍[2]。プロ入り14年目で、シーズン全42試合出場し、キャリアハイとなる14ゴールを挙げた。
2017年2月26日、第1節のジェフユナイテッド市原・千葉戦で史上29人目となるJ2通算300試合を達成した[3]。J2第7節アビスパ福岡戦で、87分からわずか8分間で3得点を記録し、キャリア初となるハットトリックを達成した。
2024年、第30節で初先発を掴みアシストを決めて勝利とチームの首位浮上に貢献した[4]。第33節にJ1で自身9年振りに得点した[5]。
略歴
編集所属クラブ
編集個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 鹿島 | 27 | J1 | 11 | 0 | 4 | 0 | 4 | 1 | 19 | 1 |
2004 | 10 | 0 | 5 | 1 | 1 | 0 | 16 | 1 | |||
2005 | 2 | 0 | 4 | 0 | 1 | 1 | 7 | 1 | |||
2006 | 仙台 | 13 | J2 | 24 | 5 | - | 2 | 0 | 26 | 5 | |
2007 | 47 | 10 | - | 1 | 0 | 48 | 10 | ||||
2008 | 31 | 6 | - | 2 | 1 | 33 | 7 | ||||
2009 | 38 | 8 | - | 5 | 3 | 43 | 11 | ||||
2010 | J1 | 21 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 25 | 2 | ||
2011 | 20 | 1 | 2 | 1 | 2 | 1 | 24 | 3 | |||
2012 | 山形 | 9 | J2 | 41 | 9 | - | 2 | 1 | 43 | 10 | |
2013 | 40 | 12 | - | 3 | 0 | 43 | 12 | ||||
2014 | 36 | 6 | - | 2 | 0 | 38 | 6 | ||||
2015 | J1 | 31 | 2 | 6 | 1 | 4 | 1 | 41 | 4 | ||
2016 | 町田 | 30 | J2 | 42 | 14 | - | 0 | 0 | 42 | 14 | |
2017 | 41 | 11 | - | 0 | 0 | 41 | 11 | ||||
2018 | 42 | 12 | - | 1 | 0 | 43 | 12 | ||||
2019 | 38 | 3 | - | 0 | 0 | 38 | 3 | ||||
2020 | 33 | 1 | - | - | 33 | 1 | |||||
2021 | 41 | 6 | - | 0 | 0 | 41 | 6 | ||||
2022 | 23 | 1 | - | 0 | 0 | 23 | 1 | ||||
2023 | 14 | 0 | - | 3 | 1 | 17 | 1 | ||||
2024 | J1 | ||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 95 | 4 | 25 | 4 | 12 | 4 | 132 | 12 | |
日本 | J2 | 531 | 104 | - | 21 | 6 | 552 | 110 | |||
総通算 | 626 | 108 | 25 | 4 | 33 | 10 | 684 | 122 |
その他の公式戦
- 2008年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 2014年
- J1昇格プレーオフ 1試合0得点
タイトル
編集クラブ
編集- ベガルタ仙台
- FC町田ゼルビア
- J2リーグ:1回(2023年)
脚注
編集- ^ ニュースリリース (2012年12月20日). “中島裕希選手 モンテディオ山形へ完全移籍のお知らせ”. ベガルタ仙台. 2013年1月6日閲覧。
- ^ ニュースリリース (2015年12月30日). “中島裕希選手 完全移籍加入のお知らせ”. FC町田ゼルビア. 2015年12月30日閲覧。
- ^ “2017明治安田生命J2リーグ 第1節 中島 裕希 選手(町田)J2通算300試合出場達成”. Jリーグ.jp (2017年2月26日). 2018年9月14日閲覧。
- ^ “J1首位の町田・黒田監督「変わった藤尾翔太を見せてくれると思う」2試合出場停止明けのエースの奮起に期待”. 2024年9月19日閲覧。
- ^ “明治安田J1リーグ 第33節”. 2024年10月5日閲覧。
- ^ “皆様へ”. 丸居沙矢香オフィシャルブログ (2009年11月1日). 2013年1月6日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 中島裕希 (@yuki.nakashima_official) - Instagram
- 中島裕希 (@yukiboo13) - X(旧Twitter)
- 中島裕希 - Soccerway.com
- 中島裕希 - FootballDatabase.eu
- 中島裕希 - WorldFootball.net
- 中島裕希 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 中島裕希 - J.League Data Siteによる選手データ
- モンテディオ山形オフィシャルウェブサイト
- 中島裕希オフィシャルブログ - なにしとんが?