中尾是正
中尾 是正(なかお これまさ、1921年10月27日 - 2005年9月21日)は、日本の写真家、編集者、実業家である[1][2][3][4]。1958年(昭和33年)にグラフ社を創業、同社社長、日本出版クラブ評議員を歴任した[1][2]。
中尾 是正 なかお これまさ | |
---|---|
誕生 |
1921年10月27日 - 2005年9月21日 日本 東京都 |
死没 |
2005年9月21日(83歳没) 日本 東京都品川区 |
職業 | 写真家、編集者、実業家 |
言語 | 日本語 |
代表作 | 『図説パルテノン』 |
配偶者 | 中尾淑子 |
子供 | 山田紀子 |
人物・来歴
編集1921年(大正10年)10月27日、東京府(現在の東京都)に生まれる[2]。
主婦の友社『主婦の友』編集部、岩波書店「岩波写真文庫」編集部を経て、『主婦の友』編集長であった本郷保雄が独立して創業したホーム社の設立に参加、その後、1958年(昭和33年)12月9日、満37歳のときに自らも独立、東京都渋谷区宮下町37番地(現在の同区東1-26-26)に出版社グラフ社を創業する[1]。
同社では、1965年(昭和40年)、季刊雑誌『手芸』を創刊、同誌は1970年(昭和35年)3月に発行した第6巻第1号をもって誌名を『ザ・ニット』に変更している[5]。同年5月、「手芸愛好家のための教養と研究の雑誌」として『手芸の友』を創刊[6]、1966年(昭和41年)には、婦人雑誌『マイライフ』を創刊している[7]。1968年(昭和43年)には「マイライフ新書」、1972年(昭和47年)には「マイライフシリーズ」という新書、グラフ書籍のシリーズをはじめている。
1979年(昭和54年)3月、女性対象の雑誌・書籍類から離れ、「カラーアルバム」シリーズを開始、第1巻に自らが撮影した写真を用いた『氷河湾』を刊行した[3][4][8]。1980年(昭和55年)11月には単著『図説パルテノン』、1982年(昭和57年)12月には、グスタフ・ヴィーゲランの彫刻とヴィーゲラン彫刻公園を題材にした単著『輪廻の彫刻 ヴィーゲランと彫刻公園』を著し、グラフ社から出版した[3][4]。
2005年(平成17年)9月21日、東京都品川区内の病院で、肺炎のため死去した[1][2]。満83歳没。同年10月15日、東京都港区南青山の青山葬儀所で、グラフ社は中尾の社葬を行った[1]。グラフ社は実娘の山田紀子(山田のりこ)が経営を継承した。
ビブリオグラフィ
編集国立国会図書館蔵書を中心とした著作の一覧である[3][4]。著作ではなく、編集人・発行人として出版したものは除く。
- 『瀬戸内海 - 空からみた』岩波写真文庫129、編集岩波書店編集部、写真中尾是正/岩波映画製作所、岩波書店、1954年 / 復刻ワイド版、1990年3月 ISBN 4000035835
- 『氷河湾』カラーアルバム1、グラフ社、1979年3月 - 写真・文(単著)
- 『エーゲ海の島 サントリーニ・デロス・ミコノス』カラーアルバム17、グラフ社、1979年8月 - 写真・文(単著)
- 『図説パルテノン』、グラフ社、1980年11月 - 単著
- 『輪廻の彫刻 ヴィーゲランと彫刻公園』、彫刻グスタフ・ヴィーゲラン、グラフ社、1982年12月 ISBN 4766200314 - 写真・文(単著)
脚注
編集- ^ a b c d e 中尾是正氏死去 グラフ社社長、47NEWS、2012年6月29日閲覧。
- ^ a b c d 合祀者名簿 Archived 2011年12月12日, at the Wayback Machine.、日本出版クラブ、2012年6月29日閲覧。
- ^ a b c d 中尾是正、国立国会図書館、2012年6月29日閲覧。
- ^ a b c d 中尾是正、国立情報学研究所、2012年6月29日閲覧。
- ^ ザ・ニット、国立情報学研究所、2012年6月29日閲覧。
- ^ 手芸の友、国立情報学研究所、2012年6月29日閲覧。
- ^ マイライフ、国立情報学研究所、2012年6月29日閲覧。
- ^ カラーアルバム グラフ社、国立情報学研究所、2012年6月29日閲覧。