中倉宏美
日本の将棋棋士
中倉 宏美(なかくら ひろみ、1979年1月26日 - )は、LPSA(日本女子プロ将棋協会)所属の女流棋士。LPSA番号は12。東京都府中市出身。堀口弘治七段門下。以前は日本将棋連盟に所属し、当時の女流棋士番号は旧38。女流棋士の中倉彰子は実姉。中座真(彰子の夫)は義兄にあたる。2014年2月よりLPSA代表理事(3代目)を務めている[1]。
中倉宏美 女流二段 | |
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名前 | 中倉宏美 |
生年月日 | 1979年1月26日(45歳) |
プロ入り年月日 | 1995年10月1日(16歳) |
LPSA番号 | 12 |
出身地 | 東京都府中市 |
所属 | 日本女子プロ将棋協会 |
師匠 | 堀口弘治七段 |
段位 | 女流二段 |
プロフィール | LPSA所属女流棋士 |
2015年2月13日現在 |
経歴
- 1990年、第22回女流アマ名人戦で準優勝。
- 1991年、第5回女流アマ王将戦で優勝。
- 1991年4月、女流育成会に入会(在籍は1991年度から1995年度前期)。
- 1995年10月、女流2級としてプロデビュー。
- 2007年5月、LPSA(日本女子プロ将棋協会)創設とともに移籍。
- 2008年度、女流名人リーグA級在籍。
- 2008年9月、第2回日レスインビテーションカップ(LPSA公認棋戦)で準優勝。
- 2008年10月、第17回1dayトーナメント優勝。
- 2009年1月21日、女流二段に昇段(日本女子プロ将棋協会に在籍の女流棋士として初の昇段)。
- 2014年2月25日、3代目のLPSA代表理事に就任。
人物
- 父の影響で4歳頃に姉・彰子(2歳違い)とともに将棋を始める[2]。
- 女流育成会に入会するのは姉より1年早かったが、育成会を抜けるのは1年半遅かった。しかし半年で1級に昇級し、以降は姉をリードした。
- バイクが好きで愛車はハーレーダビッドソン。16歳で小型自動二輪車、20歳で中型二輪車、25歳で大型自動二輪車の免許を取得[2]。新聞・バイク雑誌の取材で取り上げられたこともある。
- 姉・彰子の名前の由来は蛸島彰子からであるが、宏美の名前の由来は特にないとの事[3]。
- 2002年3月、清水市代・山田久美・中倉彰子と女流棋士4人組のユニット原宿将棋通りでCDデビュー。
- 2002年8月、姉・彰子のソロシングル「Tearful Smile」製作にバックコーラスとして参加。
- NHK将棋講座の聞き手を1999年度後期、2004年度後期の2回務める。
- 2006年4月から2009年3月までNHK杯テレビ将棋トーナメントの司会を務めた。
- 得意戦法は、女流棋士には珍しいとされる三間飛車[4]。
- 東京都立神代高等学校卒業[5]。
- 元女子サッカー選手の澤穂希とは、府中市立府中第五中学校時代の同級生である[6]。
昇段履歴
脚注
出典
- ^ “新役員選任のご報告”. 日本女子プロ将棋協会 (2014年2月25日). 2014年2月26日閲覧。
- ^ a b “Vol.08 女流棋士 中倉宏美さん 将棋の駒ならバイクは香車 バックギヤはありません”. www.jmpsa.or.jp. 日本二輪車普及安全協会. 2022年8月1日閲覧。
- ^ “彰子と宏美のPositive de * Go !”. 日本女子プロ将棋協会 (2008年1月11日). 2014年2月28日閲覧。-- Positive de Go!の2008年1月11日配信分より、本人が本項にそうした記述のあったことにふれた上で、名付けた父親に確かめての話。
- ^ “LPSA選手の抱負”. 日本女子プロ将棋協会 (2008年3月10日). 2014年2月28日閲覧。
- ^ “中倉 宏美 ( なかくら ひろみ )”. 日本女子プロ将棋協会 (2007年5月28日). 2022年8月1日閲覧。
- ^ “中倉宏美Twitter 2018年8月27日”. Twitter. 2022年8月1日閲覧。
- ^ 「2001年4月1日付・昇段昇級者」『日本将棋連盟』。2001年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 「2000年度女流棋士成績一覧|日本将棋連盟」『日本将棋連盟』。2016年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 「女流棋士昇段規定」『日本将棋連盟』。2001年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 「中倉宏美、二段昇段のお知らせ」『LPSA 日本女子プロ将棋協会』2009年1月22日。2009年1月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。
関連項目
外部リンク
- 日本女子プロ将棋協会公式プロフィール
- 女流棋士中倉宏美のblog
- 中倉宏美 (@HIromiPDG) - X(旧Twitter)