不老橋
和歌山市の石橋
概要
編集片男波松原にあった紀州東照宮御旅所の移築に際して、第10代紀州藩主徳川治寶の命によって架けられた。第13代藩主徳川慶福の治世の嘉永3年(1850年)に着工し、翌4年(1851年)に完成した。よく三断橋と混同されるが、三断橋は初代藩主徳川頼宣が架橋したものである。
石材は和泉砂岩を使用し、敷石やアーチ部分の内輪石には直方体状の石材が使用されている。
不老橋は、徳川家康を祀る紀州東照宮の和歌祭の際に、紀州徳川家や東照宮関係者の人々が、御旅所に向かうために通行した「御成道」に架橋したものである。
橋台のアーチ部分は肥後熊本の石工集団の施工であり、勾欄部分については湯浅の石屋忠兵衛の施工と推定されている。勾欄部分は雲を文様化したものが見られる。
江戸時代のアーチ型石橋は、九州地方以外では大変珍しく、特に勾欄部分の彫刻が優れている。
近年までは不老橋を渡ったところに「不老館」という和風建築の建物があったが、解体され、現在は和歌の浦アート・キューブになっている。
橋は和歌山市指定文化財(建造物)に指定されており、和歌山県指定史跡・名勝「和歌の浦」(2008年6月15日指定)および国の名勝「和歌の浦」(2010年8月5日指定)の構成要素でもある[1]。
交通アクセス
編集周辺
編集脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集座標: 北緯34度11分12.43秒 東経135度10分21.75秒 / 北緯34.1867861度 東経135.1727083度