不破 武夫(ふわ たけお、1899年9月[1] - 1947年12月27日[2])は、日本の法学者。

不破 武夫
人物情報
生誕 1899年9月??
日本の旗 日本 東京府東京市
死没 1947年12月27日(1947-12-27)(48歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 法学
研究機関 京城帝国大学九州帝国大学
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経歴

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東京府東京市出身[1]第一高等学校を卒業し、1923年東京帝国大学法学部法律科を卒業。1925年3月に司法官試補となり、1926年11月に東京地方裁判所判事・東京区裁判所判事となる[1]。同助手(恩師:牧野英一)を経て、1929年2月、京城帝国大学助教授に着任。1930年6月に教授昇進。1939年、九州帝国大学教授となり、同法文学部長をつとめた。1947年、学習院次長[3]。1948年、「未必の故意」を九州帝国大学に提出して法学博士号を取得。

栄典

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家族・親族

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著書

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  • 『刑の量定に関する実証的研究』巌松堂 1939
  • 『刑事責任論』弘文堂 1948
  • 『刑法総論講義案』巌松堂書店 1948
  • 魔女裁判』巌松堂 1948
  • 『刑事法上の諸問題』弘文堂 1950
共著
  • 『刑法総論』井上正治共著 酒井書店 1955

論文

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脚注

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  1. ^ a b c 『朝鮮人事興信録 昭和10年版』朝鮮人事興信録編纂部、1935年、p.393。
  2. ^ 『人物物故大年表』
  3. ^ 『刑事法上の諸問題』著者紹介
  4. ^ 『官報』第4293号、1926年12月14日。
  5. ^ 『官報』第849号、1929年10月28日。
  6. ^ 『官報』第2341号、1934年10月19日。
  7. ^ 『官報』第3424号、1938年6月4日。
  8. ^ 『官報』第4393号、1941年8月28日。
  9. ^ 『官報』第4380号、1941年8月13日。