下関商業短期大学
廃止された大学
下関商業短期大学(しものせきしょうぎょうたんきだいがく)は、山口県下関市関後地村字食田[注釈 1]に本部を置いていた日本の公立大学である。1956年に設置され、1966年に廃止された。
下関商業短期大学 | |
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大学設置/創立 | 1956年 |
廃止 | 1966年 |
学校種別 | 公立 |
設置者 | 下関市 |
本部所在地 | 山口県下関市関後地村字食田[注釈 1] |
学部 | 商業科第二部 |
概要
編集大学全体
編集- 山口県下関市に所在した日本の公立短期大学で、設置主体は下関市。
- 夜間部1学科[注釈 2]で入学定員120名体制[3]で1956年開学[4][5][6][7]。
- 1962年度の入学生を最後[注釈 3]に[注釈 4]、1966年3月31日をもって短期大学としての使命を終える[8]。
教育および研究
編集- 右記の通りの科目が置かれていた[9]。
学風および特色
編集沿革
編集基礎データ
編集所在地
編集- 山口県下関市関後地村字食田[注釈 1]
年度別学生数
編集通学課程
編集- | 入学定員 | 総定員 | 学生数 | 出典 |
---|---|---|---|---|
1956年 | 120 | 120 | ? | [注釈 5] |
1957年 | 120 | 240 | ? | [注釈 5] |
1958年 | 120 | 240 | 男292 女13 |
[21][22] |
1959年 | 120 | 240 | 男308 女20 |
[23] |
1960年 | 120 | 240 | 男319 女20 |
[24] |
1961年 | 120 | 240 | 男337 女23 |
[25] |
1962年 | 120 | 240 | 男379 女46 |
[26] |
1963年 | - | 120 | 男157 女28 |
[27] |
1964年 | - | - | 男17 | [28] |
1965年 | - | - | 休校中 | [29] |
教育および研究
編集組織
編集- 商業専攻[注 9]
別科
編集- なし
大学関係者と組織
編集大学関係者一覧
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注釈
編集注釈グループ
編集- ^ a b 現在の下関市貴船町三丁目にあたる。
- ^ a b 修業年限2年を超える[1][2]
- ^ a b 専攻科は1963年度入学生まで。
- ^ a b 「昭和38年度から学生募集停止」と記載ある[16]。四大への転換のため。
- ^ a b この年度における『全国学校総覧』が存在しないため
補足
編集出典及び 参考文献
編集- ^ 文部省年報 第83年(昭和30年度)より。
- ^ 現行法規総覧 第9編 教育・文化2より。
- ^ 東京を中心とした全国学校案内 32年版より。
- ^ 大学資料 (1)より。
- ^ 大学資料 (3)より。
- ^ 大学時報 = University current review 5(2)(18)より。
- ^ 防長風土記より。
- ^ 文部省年報 第93年(昭和40年度)より。
- ^ 全国短大・高専職員録 昭和39年版より。
- ^ 山口県文化史 現代篇より。
- ^ 下関商工会議所七十五年史より。
- ^ 短期大学一覧 昭和31年度 (短期大学資料)より。
- ^ a b 防長年鑑 : 山口県大観 1957年版より。
- ^ 豊浦高等学校沿革史より。
- ^ 短期大学一覧 昭和34年度 (短期大学資料 ; 第23号)より。
- ^ 短期大学一覧 昭和38年度 (短期大学資料)より。
- ^ 短期大学一覧 昭和39年度 (短期大学資料)より。
- ^ 短期大学一覧 昭和41年度 (短期大学資料)より。
- ^ 文部省年報 第93年(昭和40年度)より。
- ^ 山口県文化史年表 増補改訂版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和34年版より。
- ^ 山口県統計年鑑 昭和32年より。
- ^ 全国学校総覧 昭和35年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和36年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和37年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和38年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和39年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和40年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和41年版より。
- ^ 短期大学一覧 昭和37年度 (短期大学資料 ; 第30号)より。
- ^ 短期大学一覧 昭和38年度 (短期大学資料)より。