下川義忠

大日本帝国陸軍軍人

下川 義忠(しもかわ よしただ、1886年明治19年)4月2日[1] - 1944年昭和19年)4月19日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

下川 義忠
生誕 1886年4月2日
日本の旗 日本 東京府
死没 (1944-04-19) 1944年4月19日(58歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1909年 - 1944年
最終階級 陸軍中将
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経歴

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1886年(明治19年)に東京府で生まれた[1]陸軍士官学校第21期卒業[2]1936年(昭和11年)8月1日陸軍歩兵大佐進級と同時に台湾軍司令部附となり[3]台南高等工業学校に配属された[3]1938年(昭和13年)9月に歩兵第47連隊補充隊長に転じ[3]1939年(昭和14年)9月に歩兵第101連隊長(第11軍第101師団・歩兵第101旅団)に就任して日中戦争に出動[1][2][3]。贛湘作戦などで戦果を挙げ[2]1940年(昭和15年)2月24日堺連隊区司令官に転じ[3]8月1日に陸軍少将に進級した[3]

1942年(昭和17年)4月1日大阪連隊区司令官に就任[1]。同年12月1日第4師団兵務部長に転じ[1]1943年(昭和18年)9月に留守第4師団兵務部長となった[1]1944年(昭和19年)2月10日に第10野戦補充隊長として中国戦線に復帰したが[1]応城で勤務中の4月19日に死去[2][3]。同日任陸軍中将[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 福川 2001, 377頁.
  2. ^ a b c d 福川 2001, 378頁.
  3. ^ a b c d e f g h 外山 1981, 270頁.

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026