下富
埼玉県所沢市の大字
下富(しもとみ)は、埼玉県所沢市の大字[4]。郵便番号359-0001[2]。
下富 | |
---|---|
八雲神社 | |
北緯35度49分43.77秒 東経139度28分0.77秒 / 北緯35.8288250度 東経139.4668806度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | 所沢市 |
人口 | |
• 合計 | 5,494人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
359-0001[2] |
市外局番 | 04[3] |
ナンバープレート | 所沢 |
地理
編集歴史
編集かつては埼玉県入間郡富岡村であった。江戸時代の元禄期に開拓された三富新田の西部にあたる。近年北部が新所沢フラワーヒルやネオポリスとして開発され新興住宅地となっている。
地名の由来
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沿革
編集- 江戸時代 - 川越藩領であった。元禄時代より三富新田の開発が始まる。
- 元禄9年(1696年) - 検地があり[注釈 1]、屋敷の戸数は下富地内で49戸。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、中富村、下富村、神米金村、北岩岡村、北中村が合併し、入間郡富岡村の村域となる。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 富岡村が所沢町・小手指村・山口村・吾妻村・松井村と合併し、入間郡所沢町大字下富となる。
- 1972年(昭和47年)9月 - 西武不動産により新所沢フラワーヒルの分譲開始。
- 2007年(平成19年)2月13日 - 下富内にあった中富の飛地である辨天地区を下富に編入。
武蔵路跡
編集下富の西側で北に細長く延びている地割部分は、律令時代に定められた官道である東山道武蔵路跡である。北は堀兼神社、入間川の八潮大橋付近を通って上野国の新田荘まで続き、南は新所沢駅付近を抜けて東村山市の八国山緑地の東を通り、武蔵国府があった府中まで続いていた。
世帯数と人口
編集2017年(平成29年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
下富 | 2,310世帯 | 5,494人 |
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 所沢市立富岡小学校 | 所沢市立富岡中学校 |
施設
編集交通
編集鉄道
編集当地に鉄道は敷設されていない。
バス
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道路
編集- 交差点
- ネオポリス西・十四軒・下富片側・下富・下富中央・下富駿河台・フラワーヒル