下原村 (岐阜県)

日本の岐阜県益田郡にあった村

下原村(しもはらむら)は、かつて岐阜県益田郡に存在したである。1955年昭和30年)に合併で金山町となった後、現在は下呂市の一部である。

しもはらむら
下原村
下原八幡神社
下原八幡神社
廃止日 1955年(昭和30年)3月1日
廃止理由 合併
下原村武儀郡金山町・菅田町郡上郡東村 → 益田郡金山町
現在の自治体 下呂市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 岐阜県
益田郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 28.10 km2.
総人口 2,786
(1955年)
下原村役場
所在地 岐阜県益田郡下原村下原町66
座標 北緯35度40分08秒 東経137度10分01秒 / 北緯35.669度 東経137.16692度 / 35.669; 137.16692 (下原村)座標: 北緯35度40分08秒 東経137度10分01秒 / 北緯35.669度 東経137.16692度 / 35.669; 137.16692 (下原村)
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下原ダム
中山七里

かつての金山町東部、旧飛騨国の最南端で飛騨川沿いの村である。

歴史

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近代以前

近代以降

  • 1875年(明治8年)下原郷の名称を廃止し、久野川村、夏焼村、蛇之尾村、田口村、門和佐村、門原村、保井戸村、火打村、和佐村、瀬戸村、三ツ渕村、福来村、中津原村、大船渡村、中切村、下原町村、渡村が合併し下原村が成立。
  • 1883年(明治16年)分割により、(旧)久野川・夏焼・蛇之尾・田口・門和佐の各村域が上原村、(旧)門原・保井戸・火打・和佐・瀬戸・三ツ渕の各村域が中原村として独立。
  • 1889年明治22年)7月1日 - 町村制により下原村が村制施行。
  • 1955年昭和30年)武儀郡金山町・菅田町郡上郡東村と合併し、益田郡金山町が発足。同日下原村廃止。

教育

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交通

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名所・旧跡

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注釈

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  1. ^ 小坂・萩原の地域
  2. ^ 下呂・竹原・上原・中原・下原の地域
  3. ^ 「秋秀」郷は秔秀の誤記で「ワサホ」と読み「麻生」郷であるとする説もある。

脚注

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  1. ^ 金山町誌編纂委員会 『金山町誌』 下呂市、1975年、53頁
  2. ^ 金山町誌編纂委員会 『金山町誌』 下呂市、1975年、85-90頁
  3. ^ 飛騨金山駅の飛騨は、飛騨路の入り口という意味であり、昭和30年(1955年)合併当時の旧金山町は武儀郡美濃国)に属していた。駅は益田郡(飛騨国)下原村に位置する。

参考文献

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  • 金山町誌編纂委員会 『金山町誌』 下呂市、1975年、2005年復刻

関連項目

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