上野金太郎 (薬学者)
日本の薬学者
上野 金太郎[1](うえの きんたろう、1866年11月15日(慶応2年10月9日)[2] - 1936年(昭和11年)6月4日[3])は、日本の薬学者、薬学博士[2][4][5]、東京薬学専門学校理事兼校長[6]、資産家[7]、実業家。大日本麦酒顧問[6]。族籍は東京府士族[2][4]。
人物
編集東京府士族・上野銈三郎の三男[2][4][7]。小石川久堅町生まれ[1]。1883年、家督を相続した[2][4][7]。
第一高等中学校を経て[1]1891年7月、帝国大学医科大学薬学科を卒業、薬学士の称号を得た[8]。日本麦酒会社に入り技師となり1906年、技師長に進んだ[6][7]。同社解散に伴い大日本麦酒目黒工場長に就任した[3]。1908年、薬学博士の学位を取得[6][7]。
1917年、取締役に挙げられ転じて1925年、監査役となる[6][7]。また東京大学医学部講師などを務め[7]、1933年、東京薬学専門学校校長となった[3]。住所は東京市麻布区笄町[6][7]。墓所は青山霊園。
家族・親族
編集- 上野家
上野家は代々一橋家に仕えた士分であり、金太郎の祖父・源次郎は勘定方を務めた[5][6][7]。
- 父・銈三郎(東京府士族)[6]
- 姉・ぎん(1862年 - ?、愛媛士族、穂積重頴の妻)[2][4] - 法学者の穂積陳重や穂積八束は穂積重頴の弟である。
- 妻
- 男・幸男(1896年 - ?)[2][4]
- 養子(愛知、井伊吉次郎の孫、1922年 - )[6][7]
- 長女・きぬ(1899年 - ?、愛知県人・井伊吉次郎の長男で日本勧業銀行員・鉦太郎の妻)[6][7]
- 二女・あや(1902年 - ?、石川県人・井上茂の長男で営繕管財局技師・一之の妻)[6][7]
- 三女・紀(1904年 - ?、山形県人・相良守一の長男で第一高等学校教授・守峰の妻)[6]
- 四女・博(1907年 - ?、海軍軍医総監石黒宇宙治の三男で東京工業試験所技師・宰三の妻、分家し上野を称す。墓所は虎ノ門の栄閑院)[6]
脚注
編集- ^ a b c 『京浜実業家名鑑』425頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第5版』う21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月25日閲覧。
- ^ a b c 上野 金太郎とはコトバンク。2016年11月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第4版』う17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月4日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第8版』ウ23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録 第10版 上』ウ32-33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第9版』ウ26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月27日閲覧。
- ^ 『東京帝国大学一覧 明治27-28年』418頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月4日閲覧。