上野東宝劇場・上野宝塚劇場
上野東宝劇場・上野宝塚劇場(うえのとうほうげきじょう・うえのたからづかげきじょう)は、東京都台東区上野公園に存在した東宝系列の映画館。
上野東宝劇場・上野宝塚劇場 Ueno Toho/Ueno Takarazuka | |
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情報 | |
通称 | 上野東宝・上野宝塚 |
正式名称 | 上野東宝劇場・上野宝塚劇場 |
完成 | 1954年 |
開館 | 1954年12月13日 |
閉館 | 2003年8月31日 |
最終公演 |
劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション 七夜の願い星 ジラーチ(東宝) ターミネーター3(宝塚) |
収容人員 | (2館合計)1,206人 |
客席数 |
東宝:684席 宝塚:522席 |
設備 | ドルビーデジタル、DTS |
用途 | 映画上映 |
運営 |
東宝株式会社 株式会社東宝サービスセンター |
所在地 |
〒110-0007 東京都台東区上野公園1-51 |
位置 | 北緯35度42分47.4秒 東経139度46分31.8秒 / 北緯35.713167度 東経139.775500度座標: 北緯35度42分47.4秒 東経139度46分31.8秒 / 北緯35.713167度 東経139.775500度 |
アクセス |
JR上野駅西郷口よりすぐ 京成上野駅正面口より徒歩1分 |
概要
編集1954年12月13日開業。1階に邦画上映の上野東宝劇場(定員684人・2階席あり)、地下1階に洋画上映の上野宝塚劇場(定員522人)の2館を要した。開業当時の上野方面は、戦前の下谷区時代から存在していた上野日活館[注 1]の他、1951年に新東宝のロードショー館だった上野パーク劇場[2]、大蔵映画直営の上野公楽座(現:上野オークラ劇場)、1952年に公楽座と同じ大蔵映画系列の上野スター座(後の上野スタームービー)、1953年に松竹系の上野松竹映画劇場(後の上野セントラル)が相次いでオープンしており、当館開業から3年後の1957年には東急系列の洋画ロードショー館・上野東急がオープン。ニュース劇場などを含めて13スクリーンの映画館が上野方面に存在していた[注 1]。
細谷隆広(元アルゴ・ピクチャーズ勤務)は小学1年の頃に、岡本喜八監督の「どぶ鼠作戦」(1962年)を観たことを、『映画芸術』のインタビューで語っている[3]。
有楽町や渋谷と並ぶ東宝系の基幹劇場[注 2]として長らく親しまれたが、築49年を経て老朽化が進んだこともあり2003年8月31日に惜しまれつつ閉館となった[注 3]。
1971年6月1日に上野宝塚劇場、東映映画封切館になる。
2005年4月、跡地に上野東宝ビルが新築完成するが映画館は作られず、飲食施設『上野バンブーガーデン』がオープンした。その後2017年11月4日、松坂屋上野店などが入居する上野フロンティアタワー[4]7階 - 10階に『TOHOシネマズ上野』[5]がグランドオープン。14年ぶりに上野方面に東宝系映画館が復活した。
各館の特徴
編集上野東宝劇場
編集上野東宝劇場は684席で、主に日劇2系列の東宝邦画を上映していた。最終興行には、アニメ「ポケットモンスター」シリーズの劇場版である、「七夜の願い星ジラーチ」が上映された。
単独上映作品
編集公開年 | タイトル |
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1981年 | 『連合艦隊』、『ねらわれた学園』、『駅 STATION』、『帰ってきた若大将』、 |
1982年 | 『南十字星』、『ひめゆりの塔』(1995年度版も)、『幻の湖』、『すっかり…その気で!』、『海峡』、『三等高校生』 |
1982年 | 『小説吉田学校』 |
1984年 | 『F2グランプリ』、『零戦燃ゆ』、『おはん』 |
1985年 | 『乱』、『ビルマの竪琴(1985)』、『夜叉』、『姉妹坂』&『雪の断章 -情熱-』 |
1986年 | 『鹿鳴館』 |
1987年 | 『竹取物語』(沢口靖子主演、市川崑監督版) |
1988年 | 『となりのトトロ』&『火垂るの墓』、『敦煌』 |
1990年 | 『タスマニア物語』、『稲村ジェーン』 |
1991年 | 『就職戦線異状なし』、『あの夏、いちばん静かな海。』、『超少女REIKO』 |
1992年 | 『奇跡の山 さよなら、名犬平治』 |
1993年 | 『まあだだよ』、『水の旅人 侍KIDS』、『虹の橋』 |
1994年 | 『ヤマトタケル』、『ヒーローインタビュー』、『四十七人の刺客』 |
1995年 | 『バースデイプレゼント』 |
1996年 | 『Shall we ダンス?』、『八つ墓村』(豊川悦司主演、市川崑監督版) |
1997年 | 『パラサイト・イヴ』、『誘拐』、『CAT'S EYE』&『シャ乱Qの演歌の花道』、『ラヂオの時間』 |
1998年 | 『らせん』、『卓球温泉』、『絆 -きずな-』、『スプリガン』、『踊る大捜査線 THE MOVIE』 |
1999年 | 『催眠』 |
2000年 | 『どら平太』、『クロスファイア』 |
シリーズ作品
編集『ゴジラ』シリーズ(『ゴジラ』から『ゴジラ×メカゴジラ』まで、『GODZILLA』も)、『ドラえもん』シリーズ(『のび太の恐竜』から『のび太とふしぎ風使い』まで)、たのきんトリオスーパーヒットシリーズ(全6作)、『刑事物語』シリーズ(全5作)、『 うる星やつら』シリーズ(『オンリー・ユー』、『2 ビューティフル・ドリーマー』、『4 ラム・ザ・フォーエバー』)、『モスラ』(3部作)
上野宝塚劇場
編集上野宝塚劇場は522席の劇場で、主に日劇1で上映される洋画大作が封切られていたが、ムーブオーバーとして日劇2系列、日比谷スカラ座系列の東宝邦画も封切っていた。一時期は東映系封切館だったこともあった。
単独上映作品
編集公開年 | タイトル |
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1985年 | 『新・13日の金曜日』 |
1988年 | 『ランボー3/怒りのアフガン』 |
1989年 | 『コイサンマン』 |
1992年 | 『フック』、『紅の豚』 |
1993年 | 『天使にラブ・ソングを…』、『ジュラシック・パーク』 |
1994年 | 『平成狸合戦ぽんぽこ』 |
1995年 | 『ジャッジ・ドレッド』 |
1996年 | 『カジノ』、『アンカーウーマン』 |
1997年 | 『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』、『エアフォース・ワン』、『タイタニック』 |
1999年 | 『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』、『エンド・オブ・デイズ』 |
2000年 | 『チャーリーズ・エンジェル』、『ホワット・ライズ・ビニース』 |
2001年 | 『千と千尋の神隠し』 |
2002年 | 『スパイダーマン』 |
シリーズ作品
編集『エイリアン』(2から4)、『スター・ウォーズ』(エピソード1、エピソード2)、『インディ・ジョーンズ』、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(全3作)
脚注
編集注釈
編集- ^ a b 1953年の映画館(関東地方)「消えた映画館の記憶」[1]。
- ^ 当時の新聞における東宝配給の邦画広告では上映館のトップに有楽町(千代田劇場→日劇東宝→日劇2)や渋谷(渋谷宝塚→渋東シネタワー)と共に上野の映画館が記載されていた。
- ^ 北海道札幌市にあった同じ東宝系の映画館「札幌日本劇場」(東宝日劇)も同じ日に閉館している。
出典
編集- ^ 『全国映画館総覧 1953年版』時事通信社, 1953年
- ^ “黒船亭のお話”. 洋食黒船亭. 2013年9月13日閲覧。
- ^ 磯田勉、稲川方人 (2012年2月20日). “細谷隆広インタビュー・川向こうの映画館で(前編)”. 映画芸術. 2013年9月13日閲覧。
- ^ 『「上野フロンティアタワー」2017年11月4日開業』(PDF)(プレスリリース)J.フロント リテイリング、2017年9月14日 。2017年11月4日閲覧。
- ^ “TOHOシネマズ上野:施設紹介”. TOHOシネマズ. 2017年11月4日閲覧。
外部リンク
編集- 上野東宝劇場・上野宝塚劇場 - 「港町キネマ通り」(2002年12月取材)