上野

東京都台東区の地名
上野広小路から転送)
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上野(うえの)は、東京都台東区町名。また、上野駅を中心とした副都心[注 1]。現行行政地名は上野一丁目から上野七丁目。郵便番号は110-0005[2]

上野
上野駅 JR・正面玄関口(2021年8月)
上野駅 JR・正面玄関口(2021年8月)
上野の位置(東京23区内)
上野
上野
上野の位置
北緯35度42分32.09秒 東経139度46分27.25秒 / 北緯35.7089139度 東経139.7742361度 / 35.7089139; 139.7742361
日本の旗 日本
都道府県 東京都
特別区 台東区
地域 下谷地域
人口
2020年(令和2年)12月1日現在)[1]
 • 合計 3,710人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
110-0005[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 足立

概要

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広域地名としては浅草とともに上野・浅草副都心を形成する、上野駅を中心とする一帯の地域を指す。ここでいう上野エリアは、台東区上野・北上野東上野上野公園などからなり、日本最初の公園である上野恩賜公園(上野公園)や、デパート飲食店などが集まる繁華街喫茶店発祥の地を地域内に持つ。山手線の繁華街の中でも下町的な雰囲気を残す。上野駅から御徒町駅にかけて、全国的に著名なアメヤ横丁(通称:アメ横)が位置している。上野公園南側の上野仲町通は歓楽街的な雰囲気をもつ。また上野は戦前から男娼が集まったゲイ・タウンとしても知られる。

上野駅は東京でも屈指のターミナル駅であり、かつては北関東東北地方などの寝台優等列車や新幹線の起点として、東京の「北の玄関口」の機能を果たしていた。

上野公園は東京国立博物館国立西洋美術館東京都美術館などの博物館美術館が日本で最も集積した地域であり、また東京芸術大学東京大学(所在地としては文京区本郷)も近くにあるため「文化・芸術・学問」の街としての性格をもつ。他にも上野公園内には日本最古の動物園である上野動物園が位置しており、国内外から多くの観光客を集める。

和文通話表で、「」を送る際に「上野のウ」という。

地理

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下谷地域の南部に位置し、千代田区外神田)・文京区湯島)との区境に当たる。

地形は、上野恩賜公園のある上野山が北区の方面から伸びる上野台地(武蔵野台地の分脈)の先端部分に当たる。下谷地域に属する。正確には台地である上野山は標高20mほどの高さを持ち、上野の街は上野山の東と南に開けている。上野台地の西には東京大学の位置する文京区本郷台地があり、上野公園西南部にある不忍池はもともと両台地の間の谷(谷中根津)を流れてきた谷田川(藍染川)が流れ込む場所に自然に形成された池である。現在では谷田川は地表から消滅し、不忍池も面積を縮小させている。

歴史

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戦国時代

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戦国時代には『小田原衆所領役帳』に江戸上野という記述が見られ、北条領であった。

江戸時代

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1752年の地図上の不忍池(中央上やや右)。シュリ画。

上野山は、戦国時代には忍岡(しのぶのおか)と呼ばれており、元々江戸においては人口の少ない地域であった。

1603年江戸幕府が開かれた頃、忍岡には、伊賀国上野(現・三重県伊賀市)を本拠地とする外様大名藤堂高虎の屋敷が置かれた。

後に徳川将軍家の菩提寺である寛永寺が建立され、門前町が開けた。この頃から、寛永寺付近の一帯を「上野」と呼ぶようになる。これは、藤堂家の所領である上野(三重県伊賀市)に地形が似ていたためと言われている。寛永寺には歴代将軍の墓も建てられ、江戸幕府から保護されたので繁栄し、それに伴って門前町の上野も発展した。上野寛永寺は、江戸城から見て陰陽道上の鬼門に当たり、京都延暦寺(京都から見た場合は北東)に擬えた江戸鎮護のでもあった。地名発祥の三重県伊賀市上野は、現在は「伊賀上野」と呼ばれることが多い。

明暦の大火後には上野に広小路が設置された。ただし、当時の上野広小路は現在の上野駅付近にあり、現在の広小路は江戸時代には「下谷広小路」と呼ばれていた。

明治時代以後

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1868年に新政府軍と彰義隊による上野戦争で寛永寺が焼失し、その跡地が上野公園となった。その後、東京市15区6郡制の下で、上野公園とかつての門前町は下谷区に編入される。

1883年上野駅開業後には、上野駅が東北本線の始発駅となったことから、東京の北の玄関口の役割を担うようになり、街も発展した。1947年東京都の区が23区に再編されると、下谷区と浅草区が合併し、台東区となるとその一部となり、現在に至っている。

第二次世界大戦後

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第二次世界大戦後、戦災や外地からの引揚げなどで行き場を失ったホームレスや戦災孤児が多数、駅の地下街や周辺で寝起きするようになった[4]。彼らの置かれた環境は劣悪で、しばしば凍死者が出たほか、発疹チフスなどに流行元になることがあった[5]。一方で路上生活の孤児達は闇市で食べ物拾いをしていると屋台の主人に仕事の手伝いを手配されて駄賃を貰って食事にありつくこともあった。このようなテキ屋を行っていた暴力団筋は当時町の顔役みたいな役割を持っており、警察からも闇市の取り締まりを求められていたため、後年の社会的弱者を食い物にする反社会勢力と異なりまだ人情というものがあった[6]。人通りの多さから闇市が形成されアメヤ横丁に発展。駅周辺に繁華街が形成された[7]。また、パチンコが流行し始めると昭和通りを挟んだ向かいにはパチンコ関連企業が集まる「パチンコ村」(住所としては東上野)と呼ばれるエリアが形成。駅周辺には小規模なパチンコ店が多数出店するようになった。また、1980年代には昭和通り沿いにバイク店、バイク用品店が多数出店していた時期があったが、21世紀現在は多数が退店して数店が残るのみとなっている[8]

21世紀

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2019年(令和元年)10月1日、東京都は上野一丁目、四丁目及び六丁目を暴力団排除条例に基づき暴力団排除特別強化地域に指定[9]。 地域内では暴力団と飲食店等との間で、みかじめ料のやりとりや便宜供与などが禁止され、違反者は支払った側であっても懲役1年以下または罰金50万円以下の罰則が科されることとなっている[10]

地名の由来

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「上野」という地名の由来には諸説有る。

  • 当地にも縁のある藤堂高虎が、当地の地形が本拠地の一つである「上野」(うえの/いわゆる伊賀上野/現在の三重県伊賀市上野)に似ている点から「上野」と命名したという説。
  • 小野篁が「上野」(こうずけ/かつての令制国/現在の群馬県)の国での任を終えてへ帰る途中で、当地に館を建ててしばらく滞在し、その際地元の人が篁のことを呼んだ「上野殿」が地名になったという説。
  • 付近の「下谷」(したや)に対して、「上野」と呼ばれるようになったという説。
  • ソメイヨシノの原木が植えられたことに因むという説。

世帯数と人口

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2020年(令和2年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
上野一丁目 380世帯 615人
上野二丁目 98世帯 144人
上野三丁目 526世帯 765人
上野四丁目 23世帯 37人
上野五丁目 463世帯 635人
上野六丁目 136世帯 217人
上野七丁目 758世帯 1,297人
2,384世帯 3,710人

小・中学校の学区

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区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[11]

丁目 番地 小学校 中学校
上野一丁目 全域 台東区立黒門小学校 台東区立上野中学校
上野二丁目 全域
上野三丁目 1〜9番
27番1〜6号、11〜13号
台東区立御徒町台東中学校
その他 台東区立忍岡中学校
上野四丁目 全域
上野五丁目 1〜9番 台東区立平成小学校 台東区立御徒町台東中学校
11〜19番
20番1〜4号、11〜16号
台東区立黒門小学校
その他 台東区立忍岡中学校
上野六丁目 5〜16番
その他 台東区立御徒町台東中学校
上野七丁目 全域 台東区立上野小学校 台東区立忍岡中学校

施設

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教育学校
企業

観光

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名所史跡
寺社

交通

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鉄道
新幹線
道路
首都高速道路・出入口

画像一覧

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関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ 隣接する浅草とともに上野・浅草副都心として指定。

出典

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  1. ^ a b 町丁名別世帯・人口数”. 台東区 (2020年12月8日). 2021年1月2日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月29日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月29日閲覧。
  4. ^ 子供たちを翻弄した戦争 上野駅地下道にあふれた孤児”. 産経新聞 (2022年8月15日). 2023年9月19日閲覧。
  5. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、76頁。ISBN 9784816922749 
  6. ^ 餓死、物乞い、スリ…戦争が生み出した「浮浪児」その厳しすぎる生活 (3/5ページ) 現代ビジネス 2019.08.13 (2024年11月7日閲覧)
  7. ^ アメ横ってどんなところ?”. アメ横商店街公式ガイド. 2023年9月19日閲覧。
  8. ^ パチンコの聖地・上野でパチンコ店閉店ラッシュ。軒数は全盛期の10分の1以下に”. SPA (2022年). 2022年9月6日閲覧。
  9. ^ 暴力団排除特別強化地域”. 警視庁 (2019年). 2022年8月22日閲覧。
  10. ^ 東京都暴力団排除条例”. 東京都ホームページ (2019年). 2022年8月22日閲覧。
  11. ^ 区立小学校・中学校の通学区域”. 台東区 (2016年9月5日). 2017年12月29日閲覧。

外部リンク

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