上石巌
上石 巌(あげいし いわお、1908年1月11日 - 1991年6月12日)は、新潟県高田市(現・上越市)出身のクロスカントリースキー選手。
来歴
編集1929年の第7回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人40kmで優勝。1931年の同大会でもクロスカントリースキー個人50kmを制し、1932年レークプラシッドオリンピックの代表に選出される。同オリンピックでは、クロスカントリースキー個人耐久(50km)に出場し、ストックを破損するトラブルに遭いながらも、17位の成績を残した。
引退後は樺太で指導者として活躍。戦後は全日本スキー連盟理事・評議員、新潟県スキー連盟会長などを歴任した。
また、新潟県東頸城郡松代町(現・十日町市)の小学校に勤務していた縁で、1987年より同町で「上石巌記念クロスカントリースキー大会」が開催されている。
参考文献
編集外部リンク
編集- 上石巌 - Olympedia