上畠 益三郎(うえはた ますさぶろう、1873年明治6年)1月7日[1] - 1938年昭和13年)1月25日[2])は、日本政治家法律家実業家衆議院議員弁護士[1]大阪株式取引所理事長、日本信託銀行取締役、法政大学監事を務めた[3][4]

上畠益三郎
うえはた ますさぶろう
生年月日 1873年1月7日
出生地 日本の旗 日本 大阪府大阪市
没年月日 (1938-01-25) 1938年1月25日(65歳没)
出身校 和仏法律学校邦語法律科卒業
(現・法政大学
前職 弁護士
所属政党無所属→)
庚申倶楽部
称号 正七位

選挙区 大阪府第2区
当選回数 1回
在任期間 1920年 - 1924年
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略歴・人物

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大阪市生まれ[5]1891年(明治24年)に和仏法律学校(現法政大学)邦語法律科を卒業。その後、判事検事登用試験に合格し、徳島地方裁判所検事大阪地方裁判所検事を経て弁護士になる。1920年大正9年)に第14回衆議院議員総選挙に大阪府第2区から無所属で出馬し当選[1][6]。当選後は庚申倶楽部に所属した[2]。その後、大阪株式取引所理事長、日本信託銀行取締役に就任。そして、1931年(昭和6年)に法政大学監事に就任。

1938年(昭和13年)1月25日に死去。

栄典

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著書

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  • 『カイヨー夫人之獄』(1926)[7]

脚注

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参考文献

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