上毛野 馬長(かみつけの の うまおさ、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。姓は朝臣。官位は従五位上・出羽守。
淳仁朝の天平宝字8年(764年)正月に従五位下に叙爵し、出羽介に任官する。同年9月に発生した藤原仲麻呂の乱では孝謙上皇側に与したらしく、乱後の10月に解官された大原今城の後任として上野守に補せられている。
称徳朝の神護景雲2年(768年)左衛士員外佐となるが、この時の左衛士督には石上息継が任ぜられている。
光仁朝の宝亀7年(776年)百済王武鏡の後任の出羽守に任じられ、翌宝亀8年(777年)従五位上に至る。
『続日本紀』による。