上更別駅
かつて北海道河西郡更別村にあった日本国有鉄道の駅
上更別駅(かみさらべつえき)は、北海道(十勝支庁)河西郡更別村字上更別にあった日本国有鉄道(国鉄)広尾線の駅(廃駅)である。電報略号はサヘ。事務管理コードは▲111508[2]。
上更別駅 | |
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上更別駅跡と記念碑(2008.5.1) | |
かみさらべつ Kami-Sarabetsu | |
◄更別 (6.6 km) (8.0 km) 忠類► | |
所在地 | 北海道河西郡更別村字上更別 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 広尾線 |
キロ程 | 42.0 km(帯広起点) |
電報略号 | サヘ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1930年(昭和5年)10月10日[1] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)2月2日[1] |
備考 | 広尾線廃線に伴い廃駅 |
歴史
編集- 1930年(昭和5年)10月10日 - 国有鉄道広尾線中札内駅 - 大樹駅間延伸開通に伴い開業[3][4]。一般駅[3]。
- 1974年(昭和49年)12月15日 - 貨物・荷物(発送手荷物を除く)取扱い廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 無人駅となる。手荷物発送取扱い廃止[1]。出札・改札業務を停止し旅客業務を無人化[5]。列車交換設備は存置され、運転要員は営業最終日まで継続配置。
- 1987年(昭和62年)2月2日 - 広尾線の廃線に伴い廃止となる[1]。
駅名の由来
編集→「更別駅」も参照
駅構造
編集廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった[7]。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡した[7]。駅舎側単式ホーム(東側)が下りの1番線、島式ホーム(東側)が下りの2番線となっていた[7]。島式ホームの外側1線は、帯広方から分岐した行き止まりの側線となっており、そのほか1番線の広尾方から分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[7]。
無人駅扱いの運転取扱い要員のみが配置されていた駅であった。駅舎は構内の北東側(広尾方面に向かって左側)に位置し1番線ホーム中央部に接していた[7]。
利用状況
編集1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は20人[7]。
駅周辺
編集駅跡
編集1999年(平成11年)時点では「上更別駅」と記載された記念碑が建立されていた[9]。この記念碑は更別駅と同様のもので、表側下段の碑文は同文となっているが、表側上段の駅舎をスケッチした陶板と裏面の駅名標は当駅のものになっている[10]。2010年(平成22年)時点[11]、2011年(平成23年)時点でも同様であった[10]。駅跡自体は空地になっており、線路跡も確認できる[10]。
隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、890頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、236頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b 内閣印刷局, ed (1930-10-03). “鉄道省告示 第254号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (1130) .
- ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、142頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 「通報 ●山口線大歳駅ほか76駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1984年1月30日、32面。
- ^ 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、72頁。NDLJP:1029473。
- ^ a b c d e f g h 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)139ページより。
- ^ 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)13ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVI』(JTBパブリッシング、1999年3月発行)38-40ページより。
- ^ a b c 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)188-189ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)87ページより。