上山市立宮生小学校(かみのやましりつ みやおいしょうがっこう)は、山形県上山市下生居にあった公立小学校

上山市立宮生小学校
国公私立の別 公立
設置者 上山市
閉校年月日 平成25年3月31日
所在地 999-3202
山形県上山市下生居字森752
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象徴

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校章は宮の権化と鳩の権化をデザイン化し組み合わせたもの。宮の権化は郷土の守護神・八幡神社を意味し、宮生の頭文字を図案化、荘巌崇敬、郷土を中心とした精神教育を象徴。鳩の権化は、八幡神社を意味するとともに、宮生地区の地区是であるところの平和を目標とするもの。[1]

校歌は大沢文蔵(当時在教職員)が原案作詞し、全職員によって討議のうえ昭和8年完成。昭和37年に斎藤次郎(山形大学教育学部教授)が伴奏作曲。

沿革

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  • 1874年(明治7年) - 宮脇小学校を設置(5月)、生居学校を設置(7月)
  • 1876年(明治9年) - 宮脇金剛院所有地の建物を借用し校舎にあてる
  • 1881年(明治14年) - 明新学校が解説され、金生村は明新学校に通学となる
  • 1887年(明治20年) - 小学校令により、宮脇尋常小学校へ改称。生居学校は中生居尋常小学校へ改称。
  • 1888年(明治21年) - 中生居尋常小学校を統合、中生居分教場を開設。
  • 1892年(明治25年)10月1日 - 宮生尋常小学校に改称、創立の年として制定。なおこの年、金生村、宮脇村、下生居村、中生居村、上生居村が合併し、宮生村となる。
  • 1893年(明治26年) - 宮脇109番地に新築移転、和風2階建て64坪。
  • 1901年(明治34年) - 宮生尋常高等小学校へ改称、高等科が設置
  • 1908年(明治41年) - 尋常科6年、高等科2年となる
  • 1924年(大正13年)9月 - 新校舎落成、和風2階建て56坪。
  • 1933年(昭和8年) - 校旗、校歌制定
  • 1935年(昭和10年) - プール土俵が設置される
  • 1941年(昭和16年) - 宮生村国民学校へ改称
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 新学制により宮生村立宮生小学校へ改称
  • 1950年(昭和25年) - 泥部分校創設
  • 1954年(昭和29年)10月1日 - 町村合併により上山市立宮生小学校となる
  • 1956年(昭和31年)5月2日 - 新校舎落成
  • 1958年(昭和33年) - 児童数462名とピークを記録
  • 1961年(昭和36年) - 中生居分校を閉校
  • 1963年(昭和38年) - 金生地区が上山小学校学区に変更される(新1年生より上山小に入学し、昭和43年に完全移行)
  • 1972年(昭和47年) - 泥部分校休校(昭和63年に完全廃止)
  • 1978年(昭和53年) - 新校舎竣工落成
  • 1992年(平成4年) - 創立100周年記念。第二グラウンドに遊具を整備し、名称を「にじの広場」へ改名、百周年記念碑建立
  • 2012年(平成24年)11月17日 - 閉校記念式典を実行
  • 2013年(平成25年)3月31日 - 閉校。(宮生小学校および本庄小学校と統合し、東小学校を校舎として宮川小学校が開校)

学区

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  • 宮脇、下生居、中生居、上生居、泥部

進学先の中学校

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公立中学校の場合。

脚注

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  1. ^ 『宮生小学校百年のあゆみ』加藤印刷、平成5年4月25日。 

関連項目

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