三遊亭生之助
三遊亭 生之助(さんゆうてい しょうのすけ、1935年8月22日 - 2009年5月22日)は、落語家。東京都足立区出身。本名∶布施 吉英。落語協会所属。出囃子は『いやとび』。
三遊亭生之助定紋の三ツ組橘。 | |
本名 | |
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生年月日 | 1935年8月22日 |
没年月日 | 2009年5月22日(73歳没) |
出身地 | 日本・東京都足立区 |
死没地 | 日本・東京都豊島区 |
師匠 | 六代目三遊亭圓生 |
名跡 | 1. 三遊亭六生 (1959年 - 1962年) 2. 三遊亭生之助 (1962年 - 2009年) |
出囃子 | いやとび |
活動期間 | 1959年 - 2009年 |
所属 | 落語協会 (1959年 - 1978年) 落語三遊協会 (1978年 - 1980年) 落語協会 (1980年 - 2009年) |
来歴
編集蓮田中学校を卒業する。
1959年2月、六代目三遊亭圓生に入門。前座名は六生。前座名にちなみあだ名は「六ちゃん」で、晩年までこのあだ名で通った。
1962年5月 橘家三蔵と共に二ツ目に昇進。生之助に改名する。
1973年9月 林家木久蔵、三遊亭好生、桂文平、四代目三遊亭歌笑、三遊亭生之助、橘家三蔵、柳家小きん、三遊亭歌雀、柳家さん弥、金原亭桂太の十人で真打昇進。1978年5月に師匠圓生とともに落語協会を脱退するが、1980年2月1日に復帰した。
2009年2月21日の新宿末広亭が寄席最後の高座となった。約3ヶ月後の5月22日、肝不全のため東京都豊島区の病院で死去[1]。73歳没。
演目
編集芸歴
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 「三遊亭生之助氏 肝不全で死去」『スポニチ Annex 芸能』2009年5月24日。2022年5月18日閲覧。