三船雅彦
三船 雅彦(みふね まさひこ、1969年1月8日 - )は、京都府城陽市出身の自転車プロロードレース選手[1]。過去に欧州で活躍し、ロンド・ファン・フラーンデレンなどに日本人として初めて出場した。現在は株式会社マッサエンタープライズ代表。
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基本情報 | ||||
本名 |
三船 雅彦 みふね まさひこ | |||
生年月日 | 1969年1月8日(55歳) | |||
国籍 | 日本 | |||
身長 | 178cm | |||
体重 | 70kg | |||
選手情報 | ||||
所属 | TEAM MASSA・FOCUS・OUTDOORPRODUCTS | |||
分野 | ロードレース,シクロクロス | |||
役割 | チーム代表 | |||
プロ経歴 | ||||
1995-1996 1997-2000 2001-2002 2003-2006 2007-2008 |
F.S.MAESTRO Tonissteiner Landbouwkrediet ミヤタスバル マトリックス・パワーダグ | |||
主要レース勝利 | ||||
全日本選手権シクロクロス 2000,2001 ツアー・オブ・サウスチャイナシー第2ステージ 2004 | ||||
最終更新日 2008年9月27日 |
プロレーサーとして
編集中学生時に自転車ロードレースに興味を持ち、自転車部のある花園高校に進学。本格的に競技を始める。インターハイや近畿大会で入賞[2]。1987年、高校卒業とともにプロを目指してオランダへ渡る[2]。1989年に一旦日本に戻って国内実業団チームで活動し[2]、全日本選手権6位[2]、ツールド北海道総合9位などの成績を残す[2]。1992年に再びオランダへ[2]。1994年、念願のプロチーム入りを果たすが、この時はチームが活動開始前に予算不足で解散したため、この年は個人選手として活動する。1995年にようやくF.S.MAESTROと契約。本格的にプロロード選手として活動を開始。1997年からはTonissteinerに移籍。実質的に同じチームであるLandbouwkrediet時代と含めて、このチームに合計6年在籍。この時にロンド・ファン・フラーンデレン(ツール・ド・フランドル)に日本人として初めて出場している。春のクラシックレースシーズンではリエージュ~バストーニュ~リエージュに3回、ヘント~ウェヴェルヘムに6回、デパンヌ3日間に2回、そのほかにもヘットフォルクやE3などにも出場。秋のクラシックレースシーズンではトップ10入りも複数回果たしている。
2003年からミヤタスバルに移籍し、国内に戻って活動を継続。2004年には香港サイクルクラシック(この時はマルコ・ポーロとスポット契約)で優勝。ツアー・オブ・サウスチャイナシー第2ステージでも勝利。2005年も、3DAYSROAD熊野第1、第3ステージで勝利した。2007年にマトリックス・パワータグに移籍。2008年に引退を表明したが[1]、この年のツアー・オブ・タイランド第2ステージで勝利した。シクロクロスの分野でも実力が高く、2000-2001年シーズン全日本選手権を制覇し世界選手権に5度選出されている。ロードでの引退レースはツアー・オブ・サウスチャイナシー。選手としては2009年の関西シクロクロス第10戦であった。プロアマ期間通じて1500回のレース経験があり、入賞回数も200回を数える[2]。
引退後
編集引退後は関西を中心に日本各地のブルベに積極的に参加しており、ブルベの最高峰と言われるパリ・ブレスト・パリにも2011年から3回連続で参加している。
指導者として
編集- 2005年より若手育成を目的としたクラブチーム、「チームマサヒコミフネドットコム」を設立[2]。
- 2009年、自身の現役引退後は「TEAM MASSA・FOCUS・OUTDOORPRODUCTS」と改称。2016年2月のチーム解散まで代表として運営を行っていた。
- ベルギーでの活動実績を元に、日本のCS放送でのロードレース中継で主に春のクラシックレースでのゲスト解説を行う。現在でもクラシックレースで実績のある日本人選手は少なく、その経験談や地理感などは非常に貴重なものとなっている。
- 2011年より愛媛県自転車競技連盟の外部コーチを担当、愛媛国体に向けた強化に携わっている。
- 2015年、日本体育協会公認スポーツ指導者(自転車競技)の資格を取得。
- 各地でロードやシクロクロスのライドスクールなどを開催。速く走るだけではなく、「安全に速くスムーズに」をモットーに活動している。