日本基督教団摂津三田教会
日本基督教団摂津三田教会(にほんきりすときょうだん せっつさんだきょうかい)は、兵庫県三田市屋敷町7番25号にある日本基督教団の教会。もともとは日本組合基督教会の教会であった。
日本基督教団 摂津三田教会 | |
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所在地 | 兵庫県三田市屋敷町7番25号 |
国 | 日本 |
教派 | プロテスタント |
歴史 | |
創設日 | 1875年7月27日 |
献堂日 | 1877年9月7日 |
歴史
編集設立
編集1872年(明治5年)、元三田藩主の九鬼隆義が有馬に避暑に来ていたジェローム・デイヴィスを訪ね、キリスト教・聖書・西洋文化などについて学んだ[1]。これがきっかけとなり、翌1873年(明治6年)夏にはデイヴィスによる三田伝道が行われ、2週間に渡って聖書の講義が行われた[1]。九鬼隆義を始めとした士族が中心になり、1875年(明治8年)7月27日に摂津第三基督公会が設立された[1]。最初の洗礼式の司会者は新島襄で[1][2]、受洗者は16名であった[2]。参加者は250名で、会場は旧藩主九鬼邸宅(現在の旧九鬼家住宅)の大広間であった[2]。なお新島は同年11月に同志社を立ち上げている[1]。
摂津第三基督公会は、1874年(明治7年)4月19日に設立された摂津第一基督公会(現:日本基督教団神戸教会)、同年5月に設立された摂津第二基督公会(現:日本基督教団大阪教会)に次いで、1875年(明治8年)7月27日に設立された[1]。摂津第一基督公会で最初に洗礼を受けた人物は、大半は三田藩の関係者で慶應義塾出身者であった。
プロテスタント教会としては日本で5番目に教会堂が建築され、1877年(明治10年)9月7日に献堂式が執り行われた[1]。摂津三田教会の三田藩士のほとんどは神戸へ出て、宇治野村英学校、神戸女学院、神戸教会などの関係者となった。
1883年(明治16年)に浪花教会の牧師沢山保羅が有馬温泉で休養した時に、摂津三田教会の沢茂吉牧師から伝道の招聘を受け、同年8月3日より8月5日まで伝道礼拝を行った。沢山による説教で、摂津三田教会にリバイバルが起きた[3]。
日本基督教団成立後
編集戦時下の教会合同により、1941年(昭和16年)6月24日に日本基督教団が成立し、摂津三田教会も日本基督教団へ合流して、日本基督教団摂津三田教会となった。
戦後には1957年(昭和32年)に、摂津三田教会付属の「三田こばと保育園」が三田市初の保育園として開園した[1]。
初代の教会堂については、三田町長を会長とする「摂津三田教会会堂保存会」が結成されて保存活動が行われたが、道路工事による解体と移転を余儀なくされ、1967年(昭和42年)4月に2代目の教会堂が建てられた[1]。1988年(昭和63年)2月に3代目の教会堂が建てられ、1995年(平成7年)9月に4代目の教会堂が建てられた[1]。
脚注
編集参考文献
編集外部リンク
編集座標: 北緯34度53分10秒 東経135度13分22.6秒 / 北緯34.88611度 東経135.222944度