三浦三崎の戦い(みうらみさきのたたかい)とは北条氏康里見義堯の戦いである。

弘治2年(1556年)、久留里城の里見義堯は上総地方への勢力拡大を図っていた。北条氏康はそんな義堯に対する攻勢を強めていた。義堯は、正木時茂土岐頼定らを含む5000人以上の軍勢を率い、数十艘の軍船を駆使して三浦沖まで進軍。城ヶ島に陣を構える北条税の軍と激突した。

この海戦で里見軍は城ヶ島への上陸に成功したものの、三浦半島全体の制圧には至らなかった。結果として、里見軍は上総への撤退を余儀なくされた。[1]

脚注

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  1. ^ 小和田泰経 著、新紀元社編集部 編『戦国合戦史事典』碧水社、2010年4月16日、99頁。ISBN 9784775308011