三条公修

日本の江戸時代の公家

三条 公修(さんじょう きんおさ)は、江戸時代中期から後期にかけての公卿右大臣三条実起の子。母は井伊直幸の養女(蜂須賀宗鎮の娘)・美代。官位従一位内大臣

 
三条公修
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 安永3年8月1日1774年9月6日
死没 天保11年9月7日1840年10月2日
官位 従一位内大臣
主君 後桃園天皇光格天皇仁孝天皇
氏族 三条家
父母 父:三条実起、母:井伊美代
兄弟 公修押小路実茂鹿園空晁、沖君
養兄弟:胤麿
一条和子(一条輝良の娘)
実師実万、泰
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経歴

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天明4年2月16日1784年4月5日)に従三位に叙任する。その後、従一位・内大臣に至る。

天保11年(1840年)、薨去。享年67(満66歳没)。

逸話

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系譜

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