三木治朗
日本の政治家、労働運動家
三木 治朗(みき じろう、1885年(明治18年)4月16日 - 1963年(昭和38年)7月18日)は、日本の政治家。労働運動家。参議院副議長(第3代)。参議院議員(2期)。
経歴
編集東京府東京市四谷区忍町(現東京都新宿区)生まれ[1]。1895年西御田小学校卒業し、小間物問屋の丁稚奉公の後、海軍工廠を経て池上鉄工所の旋盤工として働いているときの1913年友愛会に入り[1]、北海道に渡り室蘭日本製鋼所に勤める。同時に友愛会室蘭支部を結成する。1916年上京し[1]、労働運動に携わり、1926年東京製鋼労働組合主事[1]、日本労働総同盟中央委員[2]、神奈川県連会長、同顧問、神奈川労働学校校長を経て、社会大衆党に入り、1936年川崎市会議員などを歴任する[2]。市議時代の4年は国際労働機関総会の労働代表として同行する[1]。
戦後、日本社会党に入り、1946年の川崎市長選挙に立候補したが、元市議長の金刺不二太郎に敗れた[3]。翌1947年の第1回参議院議員通常選挙で神奈川県から立候補して当選[2]。1950年に参議院副議長に就任する。参議院議員を2期務め、1959年に引退した。1963年4月16日死去、78歳。死没日をもって勲一等瑞宝章追贈、正三位に叙される[4]。
脚注
編集参考文献
編集- 『川崎市史 本編』川崎市、1968年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
外部リンク
編集議会 | ||
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先代 松嶋喜作 |
参議院副議長 第3代:1950年 - 1953年 |
次代 重宗雄三 |
先代 金子洋文 |
参議院図書館運営委員長 1949年 - 1950年 |
次代 徳川宗敬 |