三朝小唄
概要
編集1927年(昭和2年)8月6日、鳥取県倉吉町教育会主催の音楽舞踊演奏会において、佐藤千夜子の唄、中山晋平の伴奏で発表された[2][3]。
この曲の成立に関しては、作詞家の野口雨情と作曲家の中山晋平が三朝温泉を訪れた際に即興で作られたという逸話が残されているが[1]、実際には「あらかじめ三朝村長から作謡の依頼を受けた雨情達が、構想を練りながら三朝を訪れ、現地でまとめ上げた」という説も存在する[4]。
1929年(昭和4年)にレコード化され、芸者歌手の藤本二三吉が歌唱した。曲は全国的にヒットし、当時のポリドールの月報には、「花柳界と云わず、芸界と云わず、カフェ、バーと云わず、街頭と云わず、汽車、汽船の中まで侵入した(のは「三朝小唄」と「草津節」のみ)」と紹介されたという[5]。
同年6月、日本映画の父・牧野省三が指揮を執り、人見吉之助を監督にマキノ・プロダクションによって無声映画『三朝小唄』が制作・公開され、これも大ヒットとなった[5][6]。立命館大学文学部助教授(2002年当時)であった冨田美香は、本作を「当時大流行した小唄映画のなかでも、一地域名を題名に冠した御当地小唄映画の先駆的作品」と評している[7]。
歌詞には様々なバリエーションがあり、多くの芸者歌手・民謡歌手によって歌われている。
歌った歌手
編集脚注
編集- ^ a b c デジタル大辞泉プラス「三朝小唄」
- ^ 東道人『野口雨情 詩と民謡の旅』踏青社、1995年11月1日、p101-103
- ^ 山崎勉編『三朝町誌』鳥取県東伯郡三朝町役場、1965、p595-597
- ^ 東道人『野口雨情 詩と民謡の旅』踏青社、1995年11月1日、p101-107
- ^ a b 無声映画「三朝小唄」を語り隊 オリジナルのアーカイブ、2023年11月10日取得
- ^ 山陰 山朝温泉 依山楼岩崎 公式ブログ「現代によみがえる三朝小唄」2009年3月28日、2023年11月9日閲覧
- ^ 「場」への回帰─『三朝小唄』という装置─冨田美香2002、立命館大学アート・リサーチセンター編『アート・リサーチ』Vol.2、p105
- ^ 国立国会図書館サーチ検索結果「三朝小唄」発売番号53458
- ^ 国立国会図書館サーチ検索結果「三朝小唄」発売番号V-41151