三崎良章
日本の歴史学者
概要
編集埼玉県深谷市に生まれた[1]。1977年(昭和52年)、早稲田大学の第一文学部東洋史学専攻を卒業し[1]、1983年(昭和58年)、早稲田大学大学院の博士後期課程で単位取得後に退学した[1]。マールブルク大学客員研究員、北京大学客員研究員を経て[1]、早稲田大学、群馬大学、群馬県立女子大学の講師等を務めた[1]。その後、早稲田大学本庄高等学院の教員となった[1]。
専攻は東アジア史だが[1]、主な研究対象は中国の五胡十六国時代と民族である[2]。1994年(平成6年)7月、研究を通じて交流のあった町田隆吉(のちに桜美林大学教授)らとともに、五胡十六国時代を研究テーマとした「五胡の会」(ごこのかい)を立ち上げた[3][4]。この研究会は、散佚した五胡十六国時代の編纂資料の佚文の蒐集整理、会員の研究交流等を目的としており[3][5]、2012年(平成24年)には、佚文を体系的に整理した『五胡十六国覇史輯佚』(燎原書店)を刊行するなど、20年近くにわたり活動を続けている[注 1]。1996年秋、五胡十六国時代をテーマにした本の執筆依頼を受けた[2]。執筆に5年あまりをかけて完成させ、2002年(平成14年)、『五胡十六国 -中国史上の民族大移動-』(東方書店)として刊行した。2005年、論文「五胡十六国の研究」にて「博士(文学)」の学位を授与された[6][7]。
著作
編集単著
編集- 『五胡十六国 -中国史上の民族大移動-』東方書店〈東方選書〉、2002年、新訂版 2012年、ISBN 978-4-497-21222-1
- 『五胡十六国の基礎的研究』汲古書院、2006年
共著等
編集- 關尾史郎、岩本篤志主編 『五胡十六国霸史輯佚(稿)』 新潟大学「東部ユーラシア周縁世界の文化システムに関する資料学的研究」プロジェクト〈新潟大学大域プロジェクト研究資料叢刊 16〉、2010年
- 五胡の会編 『五胡十六国覇史輯佚』 燎原書店、2012年、ISBN 978-4-89748-112-8
- 五胡の会の編集分担者として、名を連ねている[10]。
論文
編集- 「五胡諸国の異民族統御官と東晋 -南蛮校尉・平呉校尉の設置を中心として-」 - 『東方学』82(東方学会、1991年)所収。
- 「異民族統御官にあらわれた五胡諸国の民族観」 - 『東洋史研究』54-1(東洋史研究会、1995年)所収。
- 「東夷校尉考」 - 『東アジア史の展開と日本 -西嶋定生博士追悼論文集-』(西嶋定生博士追悼論文集編集委員会編、2000年)所収。
- 「五胡十六国の研究」 - 博士論文(早稲田大学、2004年提出)[6][11]。単行本『五胡十六国の基礎的研究』(汲古書院、2006年)は、本論文に加筆修正を施したものである[11]。
- 「十六国夏の年号について」 - 『史観』152(早稲田大学史学会、2005年)所収。
脚注
編集注釈
編集- ^ 五胡の会のブログによると、本会は『五胡十六国覇史輯佚』の刊行をもって会合としての活動を停止するが、本書のサポートと情報交換のためのメーリングリストは存続させる、としている。「『五胡十六国覇史輯佚』ついに刊行」 五胡の会ブログ2012年3月14日付、2012年12月5日閲覧.
出典
編集- ^ a b c d e f g 三崎良章 『五胡十六国 -中国史上の民族大移動-』 東方書店〈東方選書36〉、2002年、p.217.
- ^ a b 三崎良章 『五胡十六国 -中国史上の民族大移動-』 東方書店〈東方選書36〉、2002年、p.214.
- ^ a b 關尾史郎 「五胡の会」 新潟大学人文学部東洋文化史研究室公式ホームページ(教員>五胡の会 参照)、2012年12月5日閲覧.
- ^ 關尾史郎 「教員紹介 -關尾史郎の自己紹介-」 新潟大学人文学部東洋文化史研究室公式ホームページ(教員>自己紹介 参照)、2012年12月5日閲覧.
- ^ 五胡の会公式ページ (トップページ) 2012年12月5日閲覧.
- ^ a b 早稲田大学公式サイト 「博士学位授与者」 2012年12月5日閲覧.
- ^ CiNii Books 公式サイト 「五胡十六国の基礎的研究」 2012年12月5日閲覧.
- ^ 「五胡十六国霸史輯佚(稿)」 五胡の会ブログ2010年3月25日付、2012年12月5日閲覧.
- ^ 「五胡十六国霸史輯佚「正誤」 2010年3月段階」 五胡の会ブログ2010年6月10日付、2012年12月5日閲覧.
- ^ 「『五胡十六国覇史輯佚』ついに刊行」 五胡の会ブログ2012年3月14日付、2012年12月5日閲覧.
- ^ a b CiNii Books 公式サイト 「五胡十六国の基礎的研究」 2012年12月5日閲覧.