三崎 省三(みさき せいぞう、1867年7月23日 - 1929年2月23日)は、日本の経営者阪神電気鉄道代表取締役を務めた。兵庫県氷上郡黒井村出身[1]

みさき せいぞう

三崎 省三
『財界楽屋 新人と旧人』(1924年)より
生誕 (1867-07-23) 1867年7月23日
日本の旗 日本兵庫県氷上郡黒井村
死没 (1929-02-23) 1929年2月23日(61歳没)
出身校 東洋英和学校帝国大学予備科
肩書き 阪神電気鉄道株式会社 代表取締役
任期 1922年4月 - 1927年9月
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経歴・人物

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東洋英和学校帝国大学予備科を経て、1886年に渡米し、同年12月にハミルトンスクール、1890年10月にスタンフォード大学を経て、1892年から1894年までにパデュー大学に通い、電気工学を学んだ[1][2]。帰国後は、1894年11月に三吉電機工場に入社し、京都電気鉄道の電車を製作した[1][2]1899年6月に技師長として、阪神電気鉄道に入社し、1910年4月から1917年11月までに取締役を務め、1917年11月に専務を経て、1922年4月から1927年9月までに代表取締役を務めた[1][2]

米国での留学経験を基に、阪神甲子園球場の建設にも尽力した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e 丸山健夫 (2024年3月29日). “甲子園を造った三崎省三 阪神電鉄の代表 野球への情熱を明らかに”. 日本経済新聞. 2024年7月14日閲覧。
  2. ^ a b c 日本経営史研究所 編『阪神電気鉄道百年史』阪神電気鉄道、2005年12月、706頁。全国書誌番号:20969586 

外部リンク

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