三島王(みしまおう/みしまのおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代皇族天武天皇の孫。一品舎人親王の第4皇子。淳仁天皇の兄[1]官位従四位下

経歴

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養老7年(723年)正月に元正天皇中宮に出御した際、栗栖王春日王とともに蔭皇親により無位から従四位下に叙せられる[2]

以後、出世には縁がなかったらしく、天平7年(736年)の相模国封戸租交易帳」に、王の食封50戸が同国大住郡埼取郷(現在の神奈川県平塚市四之宮付近)にあったと記されているが、この時の位階も従四位下である[3][4]藤原仲麻呂の乱による淳仁天皇廃位により、娘の川辺女王葛女王伊豆国に配流され、宝亀2年(771年)に属籍(皇籍)を回復したとあるが、この2人は「(故)従四位下三嶋王の女」と記されており、生涯位階は変わらなかった[5]。宝亀2年9月には息子の林王が「山辺真人」の氏姓を賜っている[6]

万葉集』に、天平2年(731年)頃、三島王がのちに松浦佐用姫の歌に追和して詠んだ歌として

音に聞き 目にはいまだ見ず 佐用姫が 領巾(ひれ)振りきとふ 君松浦山(まつらやま) (噂には聞いたが 目にはまだ見たことがない 佐用姫が 領巾(ひれ)を振ったという 君を待つというまつら山は)[7]

が収録されている。

没年は不明だが、上記の両女王が配流されたと思われる天平宝字8年(764年)には亡くなっていることが分かっている[5]

官歴

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続日本紀』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『本朝皇胤紹運録』
  2. ^ 『続日本紀』養老7年正月10日条
  3. ^ 『大日本古文書』巻1 - 639頁
  4. ^ 『寧楽遺文』上巻291頁
  5. ^ a b 『続日本紀』宝亀2年7月11日条
  6. ^ a b 『続日本紀』宝亀2年9月13日条
  7. ^ 『万葉集』巻第五、883番
  8. ^ a b 『続日本紀』宝亀2年7月11日条

参考文献

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