三島一
三島 一(みしま はじめ、1897年10月24日 - 1973年10月12日)は、東洋史学者。
人物情報 | |
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生誕 |
1897年10月24日 日本 |
死没 | 1973年10月12日 (75歳没) |
学問 | |
研究分野 | 東洋史 |
研究機関 | 東洋大学、二松學舍大学、専修大学 |
埼玉県出身。三島桂(ミシガン、ワシントン大学卒の実業家)、満寿の長男として生れる。祖父は1877年に学校法人二松學舍を開いた三島中州である。東洋大学教授、二松學舍大学教授、明治大学教授、戦後に専修大学教授。専門は唐代寺院経済史。[1]
生涯
編集1897年生まれ。幼い間は病弱な体質で、大森の小学校に入学したのは、9歳の時であった。東京府立第四中学校も、2年遅れの卒業。同級生に羽仁五郎がある。中学卒業の年も、祖父中州の没年に当たり、病の床に就き、第一高等学校の受験を失敗している。1920年、第三高等学校を卒業[2]し、東京帝国大学の東洋史学科に入学した。指導は池内宏および加藤繁。卒業論文は「唐代における仏教経済の一考察」。1926年に卒業[3]し、同校の副手となった。1928年、開校したばかりの二松學舍専門学校(二松學舍大学の前身)教授となる。1931年、明治大学の教授を兼任する。二松學舍の学生と中国を訪問。1932年、瀬尾すみ江と結婚する。この年、歴史学研究会が創立され、代表者(後の会長)に就任する。1945年5月25日、代々木本町で空襲に被災する。1946年、中国研究所が設立され、その所員となる。1947年、日本民主主義教育協会が設立され、岩間正男と副会長に就任する。1949年、専修大学教授。二松學舍大学および明治大学の教授を兼任する。1961年、日中友好協会派遣日本民間教育家代表団の団長として中国を訪問。1973年、二松學舍大学名誉教授。東京都大田区岩崎病院にて病没。享年75歳。[4]
著書
編集論文
編集- CiNii[1]
脚注
編集- ^ 三島一著『中国史と日本』(新評論、1977年)
- ^ 第三高等学校 編『第三高等学校一覧 大正12年4月起大正13年3月止』第三高等学校、1923年9月1日、296頁。NDLJP:940327/158。
- ^ 『東京帝国大学要覧 従大正14年至大正15年』東京帝国大学、1926年9月5日、(108)頁。NDLJP:940176/191。
- ^ 三島一著『中国史と日本』(新評論、1977年)「三島一先生の年譜と著作目録」