三好秀男
三好 秀男(みよし ひでお、1920年〈大正9年〉1月1日 - 2014年〈平成26年〉5月8日)は、日本の陸軍軍人及び陸上自衛官。陸士53期[1]・陸大59期恩賜[1]。第12代陸上幕僚長。
三好 秀男 | |
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生誕 |
1920年1月1日 日本 愛媛県 |
死没 |
2014年5月8日(94歳没) 日本 東京都 |
所属組織 |
大日本帝国陸軍 警察予備隊 保安隊 陸上自衛隊 |
軍歴 |
1940 - 1945(帝国陸軍) 1952 - 1952(予備隊) 1952 - 1954(保安隊) 1954 - 1974(陸自) |
最終階級 |
陸軍大尉(日本陸軍) 陸上幕僚長たる陸将(陸自) |
略歴
編集愛媛県出身。東京陸軍幼年学校、陸士、陸大を首席で卒業[2]。太平洋戦争中は、フィリピン・バターン半島の戦いにも参加[3]。1944年(昭和19年)12月、第21師団参謀となり、ハノイで終戦を迎えた[3]。
復員後は郷里の松山市で鞄の製造販売をして[3]、1951年(昭和26年)10月に警察予備隊に警察士長(少佐相当)で入隊した。陸上自衛隊では情報畑に進み、1960年(昭和35年)10月から約3年間、ソ連に防衛駐在官として赴任[3]。その後は陸幕第5部長、第11師団長、陸上幕僚副長等の要職を歴任し、1974年(昭和49年)7月に第12代陸上幕僚長に就任した。陸幕長として陸幕の大改革を断行、米軍の旧制度が残る陸自を海空とおなじ機構に改編した[2]。1976年(昭和51年)9月に発生したベレンコ中尉亡命事件の対処に当たるが、同事件に関する記録破棄の政府の指示に抗議し辞任した。
年譜
編集- 1940年(昭和15年)2月:陸軍士官学校卒業(第53期)
- 1943年(昭和18年)12月:陸軍大学校入校(第59期)
- 1944年(昭和19年)12月:陸軍大学校を優等で卒業、第21師団参謀[1]
- 1945年(昭和20年)8月:終戦
- 1951年(昭和26年)10月1日:警察予備隊に入隊(警察士長)
- 1960年(昭和35年)
- 8月1日:1等陸佐に昇任
- 10月1日:在ソビエト連邦日本大使館付防衛駐在官
- 1963年(昭和38年)12月1日:陸上幕僚監部第2部勤務
- 1964年(昭和39年)
- 3月16日:陸上幕僚監部第2部情報第2班長
- 7月16日:陸上幕僚監部第2部見積班長
- 1965年(昭和40年)7月16日:第32普通科連隊長
- 1967年(昭和42年)7月17日:陸上幕僚監部第2部副部長
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)7月1日:東部方面総監部幕僚長
- 1971年(昭和46年)
- 8月20日:陸上幕僚監部第5部長
- 12月1日:陸将に昇任
- 1972年(昭和47年)7月1日:第11師団長に就任
- 1974年(昭和49年)
- 3月16日:陸上幕僚副長に就任
- 7月1日:第12代 陸上幕僚長に就任
- 1976年(昭和51年)10月15日:辞任
- 1990年(平成 2年)4月29日:勲二等瑞宝章受章[4]
- 2014年(平成26年)5月8日午後6時7分:心筋梗塞のため東京都目黒区の病院で死去[5](94歳没)、叙・正四位[6]。
栄典
編集脚注
編集参考文献
編集外部リンク
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