三好善次
来歴・人物
編集高松中学(現・香川県立高松高等学校)在学中は、1934年夏の甲子園に出場し、ベスト8まで進出した。中学卒業後、1935年に早稲田大学に入学[1]。大学野球のリーグ戦では、外野手(主に中堅手)として活躍した[1]。
早大卒業後応召され南洋諸島へ従軍。1944年9月(正確な死没日は不明)に、グアムにて戦死した。享年28。
東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名が刻まれている[2]。
脚注
編集- ^ a b c d 戦没野球選手慰霊(沢村栄治記念館のページ)※三好善次の項がある。
- ^ 戦没野球人モニュメント-モニュメントに刻まれた戦没野球人一覧(野球殿堂博物館のページ)