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三名君
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日本の歴史においての
三名君
(さんめいくん)は、
江戸時代
の3人の好学の
大名
のことを指す。「三名君」を定めた明確な基準ははっきりしておらず、単なる当てはめであるともいえる。
目次
1
三名君の一覧
1.1
江戸初期の三名君
1.2
江戸中期の三名君
1.3
江戸後期の三名君
1.4
水戸の三名君
2
脚注
三名君の一覧
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江戸初期の三名君
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池田光政
[
1
]
(備前
岡山藩
主)
保科正之
(陸奥
会津藩
主)
徳川光圀
(常陸
水戸藩
主)
江戸中期の三名君
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上杉治憲
(出羽
米沢藩
主)
徳川治貞
(紀伊
和歌山藩
主)
細川重賢
(肥後
熊本藩
主)
[
2
]
江戸後期の三名君
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伊達宗城
(伊予
宇和島藩
主)
松平春嶽
(越前
福井藩
主)
山内容堂
(土佐
高知藩
主)
幕末の四賢侯
から早世した
島津斉彬
を除いた三人。
水戸の三名君
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徳川光圀
徳川斉昭
徳川慶喜
(
一橋家
当主のち15代将軍)
ただし、慶喜は水戸藩主になったことはない。
脚注
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^
湯原元一 『
武士道の趣味(下) : 論説
』 龍南會雜誌,vol.38, pp.4-8 (1895年)
^
『三百藩藩主人名事典一』(新人物往来社)など。