万代橋 (広島市)

広島市の橋

万代橋(よろずよばし)は、広島市中区元安川に架かる道路橋である。

万代橋
欄干
橋全体
地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 広島県広島市中区大手町 - 加古町
交差物件 元安川
用途 道路橋
路線名 広島市道中1区278号線
管理者 広島市
施工者 三菱重工業
竣工 1980年昭和55年)
座標 北緯34度23分15.0秒 東経132度27分2.2秒 / 北緯34.387500度 東経132.450611度 / 34.387500; 132.450611 (万代橋)
構造諸元
形式 連続鈑桁橋
材料
全長 94 m
16 m
最大支間長 38.0 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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原爆の熱線によって欄干の影の跡がアスファルトに焼き付けられた万代橋(1945年10月) / 松重美人撮影。
画像外部リンク
被爆後の影の跡
Hiroshima ground Ota River bridge A3441 e1317588716651 アメリカ国立公文書記録管理局が所有する米軍撮影写真。

諸元

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概要

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東岸の大手町三・四丁目と西岸の加古町を結ぶ。上流に平和大橋、下流に新明治橋がある。現在の橋は13代目とされる[2]

歴史

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1878年明治11年)木橋として架橋されたものが初代の萬代橋である。1916年大正5年)、ドイツ人技師の設計により当時水主町(現・加古町)に所在していた県庁の西詰に鋼鈑桁橋として架け替えられ、「県庁橋」とも呼ばれた。

1945年昭和20年)8月6日原爆被災時には爆心地から880 mの距離に位置しており、その際の熱線でこの橋を渡っていた人と荷車の影がアスファルトに焼きついていたことが記録写真などにより知られている[2]。しかし欄干が吹き抜けになっていたことで橋自体は倒壊せず、熱線で焼き付けられた欄干の影などから地上から上空の原爆爆発点までの距離(580 - 600 m)が算出された。

被爆した橋は戦後も長く使用され、1971年(昭和46年)には側歩道橋が架設されたが、1980年(昭和55年)になって現在の橋に架け替えられ、付近に旧橋の親柱が保存されている。

原爆記録画運動と萬代橋

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1974年(昭和49年)、ある老人がNHK中国本部(現在のNHK広島放送局)に1枚の絵を持参してきた。それは老人が当時視聴していたTVドラマ鳩子の海」の内容に刺激を受け、被爆直後の萬代橋付近の惨状を描いたものであった。同年6月NHKがこの絵をもとに「届けられた一枚の絵」というテーマで番組を放送すると、それをきっかけに市民が続々と同局に記録画を寄せるようになり、8月6日には1,000点近くに達した原爆記録画が平和記念館(現在の広島平和記念資料館東館)で展示された。これが現在も続く市民による原爆記録画運動(「市民の手で原爆の絵を」)の始まりとなった。

周辺施設

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f g 橋梁年鑑 昭和57年版” (PDF). 日本橋梁建設協会. pp. 146, 147. 2021年10月4日閲覧。
  2. ^ a b 13万代橋”. 広島市 (2019年10月21日). 2021年10月4日閲覧。

関連文献

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外部リンク

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関連項目

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