一町田信清
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将
一町田 信清(いっちょうだ のぶきよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。津軽氏の家臣。一町田氏2代当主。
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正2年8月13日(1574年8月29日) |
別名 | 靱負 |
主君 | 津軽為信 |
氏族 | 津軽氏流一町田氏 |
父母 | 一町田信建 |
子 | 森清 |
略歴
編集一町田氏は津軽氏の庶流。
信清は陸奥国中津軽郡一町田村(後に独狐村)に屋敷を構えた。津軽為信に仕えて、元亀2年(1571年)5月5日の石川城攻めなどに加わった。天正2年(1574年)8月13日の大光寺城攻めにおいて、津軽氏は城代滝本重行の奮戦で撤退を余儀なくされ、信清も討ち死にした。
参考文献
編集- 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社