一型繋留気球
一型繋留気球
経緯
編集陸軍気球隊では1918年(大正7年)にフランスより輸入したR型繋留気球を主力として用いていたが[2][3]、1920年(大正9年)に[2]R型の部分的な改造品を[1][2][4]試作し、6月21日に陸軍に徴収された試作第一号を皮切りに18機が製作された。生産は藤倉工業と東京イー・シー工業[2](現三菱電機)[5]が担当した[2]。
生産開始の段階では輸入品と同様に「R型繋留気球」と呼称されていたが[2]、1926年(大正15年)[1][2][4]8月に[1][4]「一型繋留気球」の名で準制式制定がなされた[1][2][4]。準制式制定後も、1927年(昭和2年)に製造中止となるまでの間に7機が追加で完成している[2]。また、1927年には後継機として九三式繋留気球の開発が開始されている[6]。
なお、1931年(昭和6年)に「九一式繋留気球」と改称されたとする資料があるが[2]、九一式はフランス製のBD型繋留気球を原型とするもので、一型とは別物だとする資料も存在する[7]。
設計
編集ガス嚢と[8]空気房を収め[2]吊籠を吊り下げた魚形の気嚢を持ち[8]、気嚢の後部には120度の角度を取って[9]安定舵嚢と方向舵嚢が取り付けられている[8]。なお、気嚢尾部が尖っていない点が、後年の日本陸軍の繋留気球との外観上の差異となる[10]。
価格は1基19,000 - 22,985円だった[2]。
諸元
編集出典:『陸軍気球連隊と第二格納庫』 2頁[1]、『日本の軍用気球』 154頁[4]。
- 全長:27.977 m
- 気嚢最大中径:8.24 m
- 気嚢容積:1,000 m3
- 重量:523 kg
- 有効搭載量:200 kg
- 乗員:2名
脚注
編集- ^ a b c d e f 千葉市立郷土博物館 2022, p. 2.
- ^ a b c d e f g h i j k l m 秋本実 2008, p. 138.
- ^ 佐山二郎 2020, p. 132,133,141.
- ^ a b c d e 佐山二郎 2020, p. 154.
- ^ “東京イー・シー工業”. 営業報告書・有価証券報告書・目論見書データベース. 東京大学経済学図書館. 2024年12月16日閲覧。
- ^ 秋本実 2008, p. 139.
- ^ 佐山二郎 2020, p. 158,159.
- ^ a b c 佐山二郎 2020, p. 138,139.
- ^ 佐山二郎 2020, p. 159.
- ^ 佐山二郎 2020, p. 146,168.
参考文献
編集- 『陸軍気球連隊と第二格納庫 ―知られざる軍用気球のあゆみと技術遺産ダイヤモンドトラス―』千葉市立郷土博物館、2022年、2頁。全国書誌番号:23681675。
- 秋本実『日本陸軍試作機大鑑』酣燈社、2008年、138,139頁。ISBN 978-4-87357-233-8。
- 佐山二郎『日本の軍用気球 知られざる異色の航空技術史』潮書房光人新社、2020年、132,133,138,139,144,154,158,159頁。ISBN 978-4-7698-3161-7。