ヴェルダンの戦い (1792年)
フランス立憲王国とプロイセン王国との間の戦闘
ヴェルダンの戦い(ヴェルダンのたたかい、英語: Battle of Verdun)は1792年8月20日から9月2日まで、フランス立憲王国とプロイセン王国の間で戦われた、第一次対仏大同盟の初期の戦闘。プロイセン軍が勝利したことでパリへの障礙が一つ取り除かれた[1]。
ヴェルダンの戦い | |
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戦闘の後、ヴェルダンから運び出されるボールペールの遺体 | |
戦争:フランス革命戦争 | |
年月日:1792年8月20日 - 9月2日 | |
場所:フランス立憲王国、ヴェルダン | |
結果:プロイセンの勝利 | |
交戦勢力 | |
フランス立憲王国 | プロイセン王国 |
指導者・指揮官 | |
ニコラ=ジョゼフ・ボールペール † | ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール・ヴィルヘルム・フェルディナント |
戦力 | |
3,500から4,000人 | 60,000人 大砲40門 |
損害 | |
2,500人 | 8,000人 |
その後
編集ボールペールは銃弾が頭に直撃して死亡した[2]。9月4日、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は自軍8万人[3]にシャンパーニュ経由でパリに進軍するよう命じた。一方フランスで8月末より続いた民衆のパニックはこの敗退により怒りに変え、九月虐殺を引き起こした。
プロイセン軍は破竹の勢いでヴァルミーまで進軍したが、9月20日のヴァルミーの戦いで逆転敗北してしまい、10月14日にはヴェルダンからも撤退した。
脚注
編集- ^ Parker, Geoffrey (2008). The Cambridge Illustrated History of Warfare. New York: Cambridge University Press. p. 195. ISBN 978-0-521-73806-4 22 January 2012閲覧。
- ^ Histoire et dictionnaire de la révolution française, Jean Tulard, 1987, coll. Bouquins, p. 1137.
- ^ Prise de Verdun