ヴィルヘルム・ルートヴィヒ (ヴュルテンベルク公)
ヴィルヘルム・ルートヴィヒ(Wilhelm Ludwig, 1647年1月7日 - 1677年6月23日)は、ヴュルテンベルク公(在位:1674年 - 1677年)。エーバーハルト3世とその最初の妃であったアンナ・カタリーナ(1614年 - 1655年)の息子。
ヴィルヘルム・ルートヴィヒ Wilhelm Ludwig | |
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ヴュルテンベルク公 | |
在位 | 1674年7月2日 - 1677年6月23日 |
出生 |
1647年1月7日 神聖ローマ帝国 ヴュルテンベルク公国、シュトゥットガルト |
死去 |
1677年6月23日(30歳没) 神聖ローマ帝国 ヴュルテンベルク公国、ヒルザウ |
配偶者 | マグダレーナ・ジビュラ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット |
子女 |
エレオノーレ・ドロテア エーバーハルディネ・ルイーゼ エーバーハルト・ルートヴィヒ マグダレーナ・ヴィルヘルミーネ |
家名 | ヴュルテンベルク家 |
父親 | エーバーハルト3世 |
母親 | アンナ・カタリーナ・フォン・ザルム=キルブルク |
生涯
編集1647年1月7日、エーバーハルト3世とアンナ・カタリーナの第9子としてシュトゥットガルトで生まれた。
1673年11月6日にダルムシュタットでヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ6世の娘マグダレーナ・ジビュラ(1652年 - 1712年)と結婚し、彼女との間にエーバーハルト・ルートヴィヒやマグダレーナ・ヴィルヘルミーネ(1677年 - 1742年、バーデン=ドゥルラハ辺境伯カール3世ヴィルヘルム妃)らをもうけた。
1674年、父の死去によって公位に即くが、僅か3年後にヒルザウ(バーデン=ヴュルテンベルク州)で急死。息子のエーバーハルト・ルートヴィヒが後を嗣いだ。
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死の床にあるヴィルヘルム・ルートヴィヒ
子女
編集- エレオノーレ・ドロテア(1674年8月14日 - 1683年5月26日)
- エーバーハルディネ・ルイーゼ(1675年10月11日 - 1707年3月26日)
- エーバーハルト・ルートヴィヒ(1676年 - 1733年) - ヴュルテンベルク公
- マグダレーナ・ヴィルヘルミーネ(1677年 - 1742年) - バーデン=ドゥルラハ辺境伯カール3世ヴィルヘルムと結婚
外部リンク
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